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価格.COM経由で液晶テレビを買って思った事 [徒然なるまま]

価格.COM経由で液晶テレビを買って思った事          2012年12月28日

 

この冬7年ぶりに液晶テレビを買い替えた。HDDブルーレイレコーダーを買った事がキッカケだった。私の現在のテレビ2005年に買った37型のアクオスなのだが、当時24万円超の値段だった。ボーナスを叩いて買った訳だ。しかしHDDブルーレイレコーダーを買ってHDMI端子に接続するとテレビ側で認識しなかった。こういう事情に詳しい人間に色々な案を出してもらって試したが残念ながら新しいHDDブルーレイレコーダーはアクオスで見ることが不可能という結論に達した。

従ってまだ普通に使えるアクオスを諦めて液晶テレビを買う事にした。私は使い倒すタイプなので滅多に使える状態のものを手放す事はしない。従ってアクオスは春に引っ越しをする甥に無償提供することにした。2005年の亀山工場製造の製品は結構良く出来ているからまだ4-5年は使えるだろう。残念ながらHDMI端子は死んでいるが・・・。

しかし予想外の出費になるので、出来るだけ安く手に入れたいのが人間の心理だ。

価格.COMで調べると様々なタイプが様々な値段で出ていた。

私は目指す機種を絞り、ビックカメラに実機があるかを確認しに出かけてみた。

価格に大きな違いがなければビッグの方が目の前で確認して購入できるので安心だからだ。ポイント還元もある。

幸い実機を見る事が出来、なおかつ価格.COMとビックカメラの価格とも比較出来た。価格.COMの方 は40型で66千円程度(税込)だ。

私の目指す製品は価格.COMとビックカメラで16千円程度のかい離があった。ポイント還元もあるが、現状の支出幅はこのままだ。

しかし7年前、37型が24万円だったのに現在は40型で6万円台だ。大手電機各社がテレビ事業部の赤字に苦しんでいる実態を消費者になり、現実的に肌で感じるようになった。

そうした傾向を反映してか、躯体は以前に比べて安普請だ。テレビというより液晶パネルに足がついているような感じだ。
原価を下げるためパーツ類も以前より質を落としているようなので、私が買ったアクオスのような耐久性は現代のテレビには無いとも云われている。それでも私には十分だった。

私の助言者は、現代の液晶テレビは5年程度が耐久性の限界なので余り高額が液晶を買うと損した気分になりますよと云う。

私はテレビを通販で買った事がない。それ故製品が事故品だったり展示品だったり新古品だったりする可能性が否定できず、若干躊躇した。しかし消耗品だと割り切って価格.COMの店を利用することにした。

ネット上のユーザーの利用コメントがどこまで客観的で正確かも分からないが参考にはした。

注文し、金を振り込み、物が来た。

結果としては問題なかった。破損もなく、保証書もあった。躯体も店で見たとおりだった。今回価格.COMで利用した店には一定の信頼を置いてもいいのかもしれない。

 

日本はデフレである。30年余り前に300円だった吉野家の牛丼は未だに360円だ。液晶テレビは1/4の価格に下落。経済成長率を考えてもこの価格はちょっとおかしい。結局廻り回って世間は不況感に苛まれている。

消費者としては安いに越したことはない。しかし世の中が廻るための適正価格を下回ると真綿で首を絞めるように自分に降りかかってくるのが現実だ。金は天下の廻り物というが、本当にそういうことなのだろう。電機メーカーがテレビ事業で採算が取れない実態は私の購入価格を見れば一目瞭然だ。

今回テレビを買ってそんなことを考え感じた次第だ。

スマホの出現で、プロバイダーを経由せずとも簡単にネットにアクセスできるようになり、ipadのような液晶端末はまもなく現在のPCの役割をTAKE OVERするだろう。

スマホとipadのような液晶端末に境目はないので、使い勝手だけが境界線になるかもしれない。会社のPCはやがて全て液晶端末になるだろう。

私が次にテレビを買おうとする時代は、もはやテレビという概念がなくなり、液晶画面端末の一部機能としてテレビがあるみたいになっているのだろう。でかいipadがテレビであり端末であるわけだ。

もはや電機メーカーの領分を完全い越えてしまっており、今後の電機メーカーの経営戦略は全く白紙の発想が必要でありそうだ。

 


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Singer Song Writerと初音ミクの組み合わせで曲を書いてみた [徒然なるまま]

Singer Song Writerと初音ミクの組み合わせで曲を書いてみた

 

イッキに攻めちゃう! ~アジアドラマチックTVイメージソング

(ニコニコ動画)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19676783

 

 

ミク-4.jpg

 

音楽をPCで作った事のない方には退屈な記事ですので、まずご了承を。

またSinger Song Writerの機能的な問題の指摘において、私のSinger Song Writerや初音ミクのソフトの使用における単純な誤解や根本的な知識不足によって記載の指摘に誤りがある場合、皆様からご教授頂けると大変に助かります。

なんせ一々マニュアルを読むのが大嫌いなので・・・。(勝手な言い分)

ジョブスだって云う通り、優れたものは感覚的に使えるものなのだ。

 

 

私は現在某企業の普通の会社員なのだが、80年代中期~90年代初頭はシンセサイザーのプログラマーというヤクザな稼業で生きていた。

当時はローランドのMC-4というアナログシーケンサーで音符の入力プログラムをしていたが、やがてNEC-PC88PC98シリーズに対応したCome on Music社のシーケンスソフトが出現し、シーケンサーは格段に進歩した。その後、マックに対応したパフォーマーへと移行したが、私のンセサイザーのプログラマー人生は時代の流れの押されるようにこの辺りで一回終止符を打たれる。

 

あれから20年数年近く経ったある日、自分の現在の業務の中で曲を書いてプログラムして、音源を作ろうという企画が持ち上がる。殆ど予算もない中、昔とった杵柄で私がやることになり、周囲に相談して昔の私のやり方が通用するシーケンスソフトを選んでもらうとSinger Song Writerを推奨された。これは初音ミクとの相性の良さが理由でもあったが、昔のようなリアルタイムの演奏入力とステップ数値の編集が比較的容易に出来、尚且つHDDレコーディングが可能なものだった事に理由がある。

 

時代が随分と違うので、当初Singer Song Writerには四苦八苦する部分が多かった。それでもCome on Music社風のステップ入力もあり、これは助かった。また、MIDIデータを直接音声ファイルに変換できるというのはSinger Song Writerの利点だろう。Pro ToolsなどよりもPCへの負荷が少なく、今回書いた曲では音声トラックだけで50チャンネル程度を使用し、各チャンネルやグループフェーダーにイフェクターを絡ませたが、顕著な動作遅延は起きなかった。ただし、Pro Toolsなどと比べて音質やノイズ対策はプロ仕様とは決して言えない。それでもアマチュアにとってデスクトップPCでこれだけの作業が出来るソフトの存在は大きい。

 

Singer Song Writerは様々な機能を持っているために往時の私が使っていたようなシーケンスソフトとは概念や構造が違う。

同じ様な編集機能を異なったWINDOWが重複して持っているため、私には邪魔なWINDOWや機能が多かった。

音符の情報を編集するために全く別のWINDOWでも表示・編集できるというのは便利で効率的に見えるが、正直言って全く不要だ。

私個人としては1つの編集機能には1つのWINDOWが対応していた方が使いやすい。ステップ情報の編集可能なWINDOWが複数あっても利用価値がないからだ。

 

加えてこれは私の使い方の問題なので致し方ないのだが、作業効率を考えるとキーボードを主として利用した入力方法に集約した編集機能の方が使い易い。マウスを利用しないと使えなかったりする部分は私にとってイライラする感じがあった点だ。せめてステップ編集時に、挿入は“I”を押すことで挿入モードが利用できるなど、ショートカット機能を充実させてくれれば助かった。挿入の度のマウスで挿入モードを引き出して数値を入れるのは連続した作業を進める中では作業時間のロスとなる。

またHDD音声データを作った後、巻き戻しをしたり、早送りをした、録音したりする場合、一々マウスで指示作業しないといけないのも使い難い。こうした基本的な機能はキーボード上でコントロール出来た方が作業として効率が良いのだ。

 

これはSinger Song Writerの設計思想の問題なので改善可能かどうかが不明だが、一定程度MIDIでデータを作って、さらに追加でデータをダビングしたりしようすると、フレーズが小節単位で集約されない現象がある。

Singer Song Writerでは1小節を1920ステップと設定している。四分音符が480だ。当然1920ステップを1小節と区切った方が音楽的だ。
しかしデータは不連続なものとして扱われているため、データの拍数と譜面上の演奏の拍数が一致しない事が多々あった。

例えば、譜面上では4小節目の頭に音を入れているのだが、データ上では3小節目の3拍目のような所にデータが存在し、しかし一連の連続した総ステップ数では辻褄が合っているというような表示になるという事だ。

この非音楽的なデータの生成にはちょっと困惑した。

音楽ソフトは音楽的でないと使い難いというのは基本中の基本だろう。

また演奏MIDIデータ内に多数の“Rest”という休符を表すデータが音符データに混在する場合があるのだが、MIDIデータをキーボードなどからリアルタイムで入力していると、このRestデータが不要に多くなり情報が煩雑になる。Restデータを非表示に出来る方法があれば知りたいが、これは何とかならないものかと思う。

ミク-1.jpg

また特定のトラックの特定の音符だけをカット・コピー出来る機能が見当たらない。ドラムなどを打ち込む時、当初打ち込む時は、BD,SN,TOMなどはまとめて1つのトラックに打ち込む。その後、アレンジを細かくやり始めた段階で楽器ごとにトラックを分割しようとするのだが、特定のトラックの特定の音符をカット出来る機能がないので最初から別々に打ち込むことになる。

鍵盤の出るページで特定のキーだけをチョイスできるのかとトライしたが、出来なかった。これは80年代のCome on Music社のソフトでも出来た事なので現代では対応してもらいたい機能だ。

ミキサーのフェーダー情報だが、グリッドを指定してからマウスでフェーダーの線を動かすのだが、これも使いずらい。グリッドを指定したら、音量は数値入力させてもらえる方法を併用出来た方がストレスが少ない。おまけに画面の大きさによってフェーダーの動く量が変わるので、同じ数値に合わせようとすると四苦八苦するハメになる。



ミク-2.jpg 

 


またこれはバグなのかもしれないが、カーソルを移動している間にカーソルがフリーズして動かなくなる現象が多発。その後、音がLOOPして発信。その内PCもフリーズした。原因不明。

加えてMIDIデータ→音声ファイル化の過程で、MIDIデータにない音が録音されるケースも散見。また音声ファイルに原因不明の“ブーン”というノイズが乗るなど、プロのレコーディングスタジオで使用するには音響的な脆弱さがあるようだ。

シーケンス+HDDレコーダーは音楽制作ツールですから、マニュアルを全部読まなくても一定程度感覚的に使用できる設計が求められる。そういう意味では私の肌使用感覚とちょっと合わない部分があるが、これは慣れの問題もあるので合わせるしかないだろう。

ミク-3.jpg

(トラックネームが入れにくい。不要な情報が付加されるし、入らないテキストがある。トラック管理がしんどかった)

 

初音ミクのソフトとの連動(リワアイヤー機能)がついていて、当初はこの機能を使って作っていたが、動作環境が悪いので、現在は初音ミクのプログラムはSinger Song Writerと切り離して、テンポを同じにした状態でプログラムして、WAVEデータに変換したものを貼り付けて修正をかけている。ちょっと面倒だが、この方がサクサク動いて精神衛生上は良いと私は思っている。

初音ミクのソフトにおいては、動作アクションへのタイムラグが気になる。

プレイバックを押しても再生に時間がかかるし、PLAYREWINDFORWADをキーボード上で出来ないのもイライラする。しかしそれらを勘案しても初音ミクのソフトは、音楽制作の大衆化を加速させたという意味でも2000年代に入って生まれた画期的な発想のソフトだろう。

 

Singer Song Writer 9.0改善要望のまとめ)

→ヴァージョン10に反映されているといいなあ。

 

MIDIトラック内の特定のキー情報だけを削除したり、他のトラックへ移動させたりできる機能が欲しい。

 

◎外部からのマイクや楽器の録音時、指定トラックを録音モードにしてもインジケーターに入力信号が入った様子が表示されないため、当初は入力が壊れているのか、もしくは接続の問題かと誤解した。

ためしに録音を実施してみると波形が出てくるので結果的には録音できると分かったが、普通、ミキサーには信号が入れば入力インジケーターに表示されるので、その程度は見ることが出来ないと信号レベルを調節出来ない。こういう所に気が利いていない。

 

◎表示方法にもう少し工夫をしてほしい。ミキサー機能において、MIDIとオーディオミキサーは分離できるようにして欲しい。(両方見たい人は選択制)

 

◎イフェクトのコンプレッサーのある日から壊れたままです。

 

◎質問メールを送っても返答が来た事がない。

 

◎何度かカスタマーに症状改善メールを出しているが、回答が返って来た事が一度もない。

 

◎原因不明のノイズが乗る。機器から隔離して使っても症状は同じ。

 

MIDI入力のLOOPモードの使い方を改善して欲しい。もっと感覚的に設定できる方法があるはず。

 

PLAYREWINDFORWADRECなどはマウス操作でなく、キーボード操作を取り入れるべき。

 

MIDIデータ内に多数の“Rest”の出現は邪魔。MIDIデータは最小限の音符情報が基本となっていて欲しい。

 

◎MIXを作る際、フェーダの上げ下げをマウスで行うのだが、グリッドを指定したら数値を入力出来るようにしてほしい。マウスの上げ下げで決めるのはストレスが溜まる。

 

◎トラック名を入力すると不要なテキスト情報が加えられる。もしくは指定範囲のテキストしか入らない。トラック管理が困難になるので、自由度を高めて欲しい。

 

Vstiの音源をセーブする時、シーケンスデータと連動したファイルとしてセーブできているのかどうかが全く肌感覚として認識出来ない。

 

Vstiの音源のオルガンなんですが、上段のキーボードを使用する方法が未だに不明。マウスでは演奏できるのだが、MIDIではコントロールできない。

ミク-5.jpg

 

そんな感じです。


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そういえば昔、派遣労働者だったなあ、オレ [徒然なるまま]

 

1990年代前半。私は30代前半だった。
バブルの余波でCMの仕事が増えて給与も多少上がり、何となく順調に思えていた時期もあったが、それも2年程度で終息。
やがて仕事の数が激減し始める。
私がかつて生業にしていたのはシンセのプログラマーという仕事だった。ある意味で、この仕事も派遣労働者と云える。
この仕事はアレンジャーやミュージシャンから指名を受けてレコーディングスタジオで音色作成や音楽用のプログラムを書いてレコーディングに寄与する仕事だ。
しかしバブル崩壊後、私の実力のなさもおおいにあるのだが、仕事に先行きに限界を感じ、CM作家仕事や作・編曲仕事などに幅を広げ始めている時期でもあった。

私に限らず売れないミュージシャンの連中もバブルの後遺症に苛まれていた。
そんな中に出てきたのは通信カラオケバブルだった。当時のカラオケの主流はP社が開発したレーザーディスクを利用したカラオケだったが、MIDI(ミディ)という規格で音源に情報を送ってコントロールできる新しいタイプが出現し始めた。つまりMIDI規格で音楽情報を作る仕事が激増したのだ。
MIDI
と云うと一般には馴染みがないが、音符の情報を一定規格に基づいてPCが読めるように書き換える仕様をいう。
例えば、1小節の時間軸が「192」という数値に決めてあるので、四分音符は48と書くみたいな事だ。ここだけ読むと難しそうだが、既にこうした情報を音楽的な手法を利用して書き換えてくれる便利なソフトがあったので、ミュージシャンの連中やシンセのプログラマーには一般的だった。

 

通信カラオケバブルはそうした音楽業界の落ちこぼれ連中の食いぶちになった。
当時の心境を振り返えると、格下仕事(通信カラオケ業界の人には申し訳ないがそういう当時そういった気持ちがあったのは事実)をしてでも食いつながなければならない自分の不甲斐なさが未だに心の奥底に大きな染みを残している。
各社がMIDI音源を利用したカラオケシステムに移行する中、MIDI音源用のデータ制作者が不足し、バブル化し始める。
音楽業界で制作会社をやっているような所が次々と参入し、大手から受注を受け、人脈を駆使してMIDI音源用のデータ制作を始めたのだ。

フリーランスとは仕事がなければ無職同然だ。何もしなければ1円にもならない。従って私もスタジオ等のメイン業務がない時間にMIDI音源データ制作を始める。

私は個人的にいくつかの会社から受注していたのだが、だいたい1曲のデータを作って納品すると3-4万円程度だった。制作会社から連絡があると指定曲から選び、その音源のCDを借り、耳を使って楽曲に録音されている楽器演奏をMIDIデータに書き換えるというのが主な作業だ。譜面を渡されることはほとんどないので、コード進行、楽器構成、楽器演奏など耳を頼りに聞き分けてデータで再現するわけだ。早い連中だと1曲を2日程度で仕上げていたらしいが、こうした連中は演歌系を選んでいたらしい。演歌は生の弦楽器が入っていて複雑そうに思えるのだが、オーケストレーションには一定のパターンがあるので慣れた人なら解析が楽なのと、ダビングされている楽器がポップミュージックに比べて少ない事もあった。

いずれにしてもストレスの溜まる仕事だった。10曲程度やらないとサラリーマンの給与にもならない。しかし10曲も受注する枠がなかったのと、仮に10曲もやっていたら廃人になっていたかもしれない。私にはその位空しい業務だった。

ある日、友人からカラオケ業務をやっている会社で人を捜しているので会わないか?と連絡が来る。話を聞いてみると、パイオニアの子会社のQ社という会社が新しい通信カラオケシステムを作るため大量の音源が必要だが、そのデータを音楽的に確認する人間を募集しているという。
レコーディングの仕事がほとんど無くなっていた当時の私は比較的割のいい固定給にも魅了され受託する。そうなのだ。私は派遣社員になったのだ。
私がこの仕事を受託していたのは1994年の下期から19952月位までだったろう。

業務場所は乃木坂に近い赤坂にあるQ社内の仮設スタジオだ。防音されており、私と同じ会社から派遣されていた男性の二名で業務に対応。

実は私を含めた二名の派遣元の会社の社長は、過去に数曲のヒット曲を持った人物で、ギターリストでもある。いつもベルサーチを着込みポルシェに乗っていた。派手好きでそれを他人に強調したいようなタイプの人物だったのだろう。

彼は親分肌で面倒見の良い人物だった。ただ私は人間関係に距離を置きたがる人間だったので湿的な関係を求めがちの彼にとって付き合いづらい人間だったろうと思う。
もう一人の派遣男性は彼の舎弟のような関係だったので、彼を慕っており業務後毎日彼の事務所に行ってから帰宅していたようだが、私は週に1度か2度程度しか寄らないのでカワイイ奴に思われていなかったろう。
実を云うと私は社長の直下で働いていた男性のAが生理的に嫌いだったから行きたくなかっただけなのだが。

Q
社での仕事は本当に食うためだけだった。未来のキャリアに有用とか何とかは考える余裕もなかった。34歳まで自分なりに積み重ねてきたキャリアに陰りが出てきていた私は人生の路線変更を余儀なくされていたのだが、この時期は本当に辛い時代だった。
Q
社では毎日10時からスタジオでデータの検品をし、委託業者にコメントをしたり多少自分でデータを直したりして完成させたりする日々が続く。半年近くやっていて感動するほどよく出来ていたデータは数曲だった。ほとんどは素人に毛が生えた程度でも良い方で、中には音楽として成立していないデータも多かった。耳で聞き取って想像や技量でデータを構築するのは確かに難しい作業だが、能力にこれだけ差があるのは客観的に見ていても興味深かった。

1995
117日早朝、私は東芝EMIからCDとして発売される某歌手の楽曲のアレンジ仕事を築地のスタジオで終える。私のキャリアではメジャーレーベルからの発売されるCDのアレンジ仕事はこれが最後となっている。
徹夜でレコーディングを終え、朝日を浴びながらの帰宅の途上、NHKのラジオから神戸地方で地震があったと伝えていた。そう、阪神淡路大震災だ。
当時のラジオの口調は大地震のような感じに受け取れなかった。私は自宅に帰ってシャワーを浴びてQ社に出勤するまでの数時間の仮眠をする。

寝ていた私を起こしたのは自宅の電話だ。受話器を取ると相手は英語で捲し立てている。そう、私のかつての同居人がロスから電話をしてきたのだった。

“高速道路がひっくり返っている、東京は大丈夫か?”

何を云っているのか理解できず、テレビをつけてみると、後に代表的な映像となる高速道路倒壊の状況が目に飛び込んで来た。
私が大震災を実感したのはこの時だった。
その日はQ社に行っても仕事に全く身が入らなかった。道の反対側の電気屋に置かれているテレビを見ると犠牲者の数が分単位で増加している。その日の夕方には公式死者数のが3,000人を超えていた。この日はそういう日だった。

Q
社は当面の楽曲を15,000曲程度と設定していたが、検品の質が低いために作業が遅延して目標に届かない恐れが出て来た。そして1月中旬以降からは検品精度を落としても楽曲数の達成をしたいという通達があり、それに従う。そのため初期に作られた楽曲のかなりの数は出来としは素人作業がそのまま流通している。

1995
2月末でQ社の作業は終わったと記憶している。その後ベルサーチ氏からもらうカラオケ関係の仕事をしていたのだが、納品データの出来で男性のAとの間で意見が合わず、疎遠になり始めていた。それでも面倒見の良いベルサーチ氏は私に対して自身が計画しているレコーディングスタジオのシンセプログラマーを担ってほしいなどの別の案を提示してくれていた。
結果的に私は第二の派遣業務を請け負う事になった。YAMAHA浜松工場に行ってシンセ開発部で行っている新作機器のバグ出しだ。かつての同僚もここで仕事をしていた記憶がある。
私は東京に住んでいるので平日の5日間、浜松のホテル住まいをし、YAMAHA浜松工場に通うという生活を始めた。交通費・宿泊費は別途出る。
我ながら落ちる所まで落ちた感があり心の奥底では悲哀が漂っていた。ドサ廻りの演歌歌手ってこんな感じかもしれない。
工場の近所のワシントンホテルからYAMAHA浜松工場に830分までに行き、17時まで決められた部屋に12人ほどが押し込められ、1日中、様々な方法でシンセを操作しバグを出すことばかりやっていた。ここに来ていた連中はそれぞれに事情を抱えていた。それぞれが全て腹の中を晒していた訳ではないが、それぞれに痛みを持つ人間ばかりに思えた。
ある意味夢破れた系の落ち零れの集団の中に私は仲間入りしていた。

人生で工場勤務は初めてだった。12時になるとサイレンがなり、工場内の食堂に溢れんばかりの人が集まり同じような食事をする。同じ制服を着ている集団は圧倒的だが異様とも云えた。そして17時にサイレンが鳴り全員退社。
私はチャップリン映画の“モダン・タイムス”を思い出した。物作りの現場の殺伐とした一面を見た気がして私は随分と遠い世界に来てしまったことに茫然としていた。

17
時を過ぎると時間通りに退社。ホテルの途中にある弁当屋で弁当を買って帰って部屋でテレビを見ながら夕食というのが日常化した。
そんな自分の未来に漠然とした不安があったのは云うまでもない。
ある日、オリックスと西武戦がホテルのテレビで放映されていた。しばらくして何気なくホテルのロビーに降りるとそこは試合直後のオリックスの選手で一杯だった。私は部屋に戻るためエレベーターに乗ったのだが、そこに選手が入ってきた。その中にイチロー選手がいた。華奢に見えたが紛れもなくスターの貫録だった。

当時の1か月のギャラは40万円だった。悪くなかった。
しかし食うためだけにやっていたとは言え、余りにも遣り甲斐のない仕事だったこともありたった2カ月やってこの派遣業務を断った。
ベルサーチ氏から今後の仕事は直接YAMAHAと契約して欲しいと云われた事も辞めるキッカケの1つだった。

ベルサーチ氏も私も互いにそろそろという時期だったということだ。

そのため5月・6月と仕事が全く無かった。35歳にもなってこんなザマかよと本当に辛い時期だった。自分の人生の積み上げの失敗を呪ったものだ。
6
月は遂にやることがなくてお歳暮のバイトを始めた。1か月やって20万円にもならなかった。
しかし宅配の業務の大変さと凄さを実感できて彼らへの見る目が変わった。今でも宅配の方々には尊敬の念で荷物を受け取っている。

1995
8月、私は人脈のお陰で某大手芸能プロダクションにマネージャー業務をするために入社する。契約社員だったが、それまでの知識、経験を生かせる場所だった。私は安堵感に満たされその後4年をこの会社で過ごす。

私は現在正社員として全く違う分野である某社に勤務している。40歳を過ぎて正社員になり役職も就いた自分に驚いてもいる。
現在の自分の部署に派遣社員も抱えている。しかし私個人は派遣という制度が大嫌いだ。自分の経験を踏まえても、本来派遣待遇で良いという人は少数派だろう。
正社員の自分と比較しても待遇は天と地ほど違う。ボーナス、社会保障、健康保険など言い出したら切りがない。正社員が身分化していると指摘する人がいるが、ある意味それは正しいと感じている。

派遣社員制度は企業に都合がいい。人的コスト削減に最大の効果がある。その効果の反対側にいるのは派遣社員たちだ。
企業が労働者をコストと考えているだろうが、本来は誤りだ。そういう側面が無いとは云わないが本来的な社会思想としては誤りだ。
そういう事を是とする社会構造はいずれツケを払わされる。
効率の先にある非効率を無視すれば、想像を超える不利益に遭遇するだろう。

私は自分自身が派遣労働者を経験し、また雇用する立場になり、世の中の歪に胸が痛くなり、また焦燥感に苛まれるのだ。


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