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燃える夏の秋の気配 at 新宿御苑 20120729 [歴史&庭園(History&Garden)]

夏の新宿御苑は訪問者が少ない。暑い場所だと敬遠されているようだ。しかし御苑には森があり、そのため園内に気温差があるため必ず風が吹く。かなりの猛暑日でも風が吹いているため、風の通り道を捕まえれば結構涼しく過ごすことが出来る。
私は炎天下の日でどこにも出かけるアイデアが無い時は新宿御苑に行く事が多い。非常に静かで煩わしさもなく、木々の下の木陰は意外にも涼しい。休憩所も人が居ないのでゆっくり過ごせる。また広大な芝生の緑が目に優しい。場所によってちょっとうるさいのはカラス位だろうか。御苑はある意味、夏の穴場かもしれない。

新宿御苑SONY (24) 燃える夏の秋の気配.jpg
猛暑だったが秋の匂いもする光景

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アルストロメリアという花
(新宿口を入った付近に咲いている)

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広大な芝生が目に優しい。


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小川には小さなエビが生息しているのを発見できる!

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ムヒカ・ウルグアイ大統領のリオ会議スピーチが語るもの [徒然なるまま]

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ムヒカ・ウルグアイ大統領のリオ会議スピーチが語るもの。

(日本語簡訳あり)

http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/?fb_ref=facebook&fb_source=home_oneline

ちょっと硬い話だが、結構シリアスで重要なのでブログに留めておく。
共産主義社会が事実上死滅し、資本主義社会が勝ったと思われた1980年代後半から早くも20年余り。資本主義が本当に人間や周辺環境にとって最良の方法なのかについて言い知れない疑念を感じているのは私だけではないだろう。「断捨離」「もったいない」という言葉が出てくるのは、こうした民衆心理が一般的にあるのだと思う。
自分自身の生活を鑑みてもこれ以上便利である必要もないと思っている。私は歴史を学び始めてから現代社会が過去の歴史に比して突然変異のように利便が向上した事実に驚愕している。それによる恩恵は計りしれないが、それによる弊害も計りしれない。

資本主義社会に生存する企業群は右肩上がりを目指し、我々もその傘下で生き、金銭保有の量が社会的地位や政治発言の源となっている。会社に居れば売上、利益が評価の主な対象になるが、その他は殆ど鑑みられない。それ故他人に物等を売り続ける事が止まらなくなる。消費がなければ企業は存続できず、傘下の我々も生存出来ない。
ムヒカ大統領はこうした点を「社会システムの根本的欠陥」と指摘している。バブル崩壊やリーマンショック、ユーロ問題、LIBRO不正などは、それらの分かりやすい兆候と言えよう。

人間が欲に任せてこれ以上消費を続ける事は、結果的に自らの生存環境を脅かすという事実についてほとんどの人々は見ない振りをしている。人間は崖っぷちに立たないと危機を認識し、共有しないという愚かな動物なのだろう。しかし崖っぷちに立った時は既に遅いと思わなければならない。確かに消費による社会の熱狂は抗し難い魅力がある。しかしカーニバルは永遠に継続出来ないのだ。

中国・インドのような大国の国民に対して大量の物を売り続けるということは、世界中でその副作用を共有することになるだろう。

非常に先進資本主義に生きる人間の利己的で不遜な見解と理解している上での発言で申し訳ないが、私は昔から中国が今後も共産党一党独裁国家で良いと思っている。その理由は
15億を超える人々が先進国並みの生活を享受し始めたら、結果的に我々も彼等もまともに生きて行けないだろうと思うからだ。中国や先進国並みにすることは地球環境的にはパンドラのハコを開けるようなものだ。インドもしかりだ。この考えは極めて差別的であるが、今後の新興国の発展と先進国の発展がシンクロ(同期)した場合の様々な副作用を考えた場合、どこかで均衡点を探らなければ地球規模で崩壊が起こるだろう。

資本主義陣営は、どこかで右肩上がり幻想から脱却が必要になるとだろうし、人口の多い新興国は先進国並になるという幻想は捨てるべきだろう。
全人類が全て右肩上がりを目指したら、最後には飽和することは自明の理だ。加えて人口は増えいるのに人類が生存出来るエリアや資源は限られている。火星に移住を計画している連中もいるが、地球すらマネージ出来ないのに火星移住など夢の又夢だ。

それ故に、大統領の言う「人間の幸せとは必要最低限度のものを持つことを目指す事」を人類が噛みしめる必要がある。共産主義でもなく資本主義でもない新しい理念(主義)の開発が必要だ。

人類の最大の友であり敵は「欲(GREED)」だろう。「
欲のコントロール」こそが今後の人類の生存の最後のKEYになることが疑いない。「足るを知る」という諺があるが、全人類で共有できるかはハードルが高い。私だって自信がない。
そう考えると、未来の人類諸氏が彼の発言を「本気で引用する時代」が仮に来たとしたら、残念ながら時は既に遅しかもしれない。その時は資源争奪のための世界間の戦争になり、敗者は強者の封建的な支配下に置かれるだろう。そして浪費と消費の果てに人類は滅亡するかもしれない。
そういう未来が来ない事を望むだけだ。放漫な消費過多が人類滅亡の共通項となれば、人類も目を覚ますかもしれない。
そして私は今日も断捨離してゆく。
死んだら何も持って行けない。現世とは体を含めて全て地球からの借り物なのだ。我々はヤドカリなのだ。


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露天が連なる祐天寺の盆踊り 2012年7月18日 [徒然なるまま]

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随分と久しぶりに盆踊りに出かける。というより盆踊りの写真を撮影したかっただのだ。子供の頃は居並ぶ露天の極彩色と怪しさにクラクラした覚えがある。露天商はテキヤと呼ばれている。テキヤさんとも言う。彼らの生態は一般人にはなかなか謎の部分が多い。ヤクザとつながっているとも言われていたり、そうではないとも言われていたり。


テキヤ稼業のフォークロア左の書は、作者が閉鎖的なテキヤさんたちと時間をかけて親しくなり、取材したものをまとめた本だ。ここの記載されている内容を読むト、テキヤさんの生活状況が垣間見る事が出来る。特殊な言葉や仕来りなどは、我々のような部外者には興味深い。会場内の露天の配置にも序列があると聞くし、商売の内容にもそれぞれのルールが存在するようだ。
毎年訪れる靖国神社にも数多くの露天が出ていて目も腹も楽しいが、お隣の韓国にも常設の露天で生計を立てている人が多い事に気づく。韓国の露天は日本の露天とはちょっと異なるが、興味深い光景だ。

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さて、祐天寺の盆踊りでも50-60店舗の露天が出ていた。会場は10代の子供たちでむせ返る様な状態だった。現代の子供たちにも露天が連なる盆踊りの会場は魅力的で怪しい気分になるのだろうか?と思いながら会場を歩く。私の子供時代だった昭和30~40年代とあまり変わらない露天の様子は、自分の子供時代を思い起こさせる。

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子供の頃はオモチャが連なる露天が一番魅力的だった。ここに映っているお面は1枚800円だという。お祭り価格とも言えるが、こうした場所に来ると金銭感覚も麻痺してしまう。自分の子供時代にはなかなか買ってもらえなくて我慢を強いられたが、そんな気持ちも懐かしい。日本の昔の祭りでは男女の交流の場としての活用もあったというが、現代でも似たような部分はある。

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祐天寺の盆踊りでは寺の住職も踊っている。余り見たことがないのだが、なかなか良い光景だ。提灯が淡く照らす盆踊り会場は、老若男女に共通する原始的な興奮を呼び起こす感じがする。 

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上下の写真のように露天には盆踊りの会場を色彩的に演出する効果があるようだ。冷静に見ると他愛のないものではあるのだが、あの雰囲気の中では不思議なほど魅力的に見える事があるのは私だけではないだろう。ヤキソバや焼きトウモロコシなんて、本当に上手そうだし。

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的当てなんてちょっとレトロなものもまだ存在するのがウレシイ。大人だって思わずプレイしてしまうのは人間の性だろうか。

こういう話題を読むには、やっぱりこの曲。井上陽水さんの「夏まつり(1973年)」でしょう。昭和な祭りの様子が目に浮かぶ一曲だ。

http://www.youtube.com/watch?v=wXrwLjTIsZQ


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