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派遣労働という在り方を悩んでみる [徒然なるまま]

私は特に労務管理のプロじゃない。なんでこんなテーマで書いてみようかと思ったかというと、アルジェリアの人質殺害事件があったからだ。犠牲者の中に派遣労働者の方がいらっしゃった。

アルジェリアという遠方でなおかつ、特殊な環境下での業務の最前線でも派遣労働者が働いていたという事実に少なからず驚いた。

誤解無きように前もって言っておきたいのだが、私は日揮がアルジェリアに派遣労働者を送っていたことに反論、意見をしようと思って書いている訳じゃないので予め断っておく。
それ故、ここでは一般的な派遣労働者について感じる私の意見を書こうと思っている。

派遣労働については様々な意見がある。雇用の流動性確保の観点から見る人や、長期的生活設計の観点から見る人など様々で、それぞれの立場によって評価が異なる。派遣労働はリーマンショック後の製造業による大量の解雇問題があり、以前より規制がかかったので流動性が失われたと云う人もいる。

実は私の会社や部署にも派遣労働者が沢山働いている。私の部署にも何名かおり、その中には結婚して子供のいる人だっている。
世間では彼らを「非正規雇用者」という。しかしなんと失礼な呼び方だろう。誰が付けたか知らないが、極めて差別的な匂いのする言葉の選択だ。


私個人の意見としては、派遣労働という雇用形態は好きじゃない。これは自分がそういう立場で働いていた時代があったこともあるが、若い一時期ならともかく、中年に差し掛かった派遣労働者の現実を見ると、こういう労働体系は少なくとも生涯を組み立てる労働体系には向いていないんじゃないかと思う。
派遣会社の担当者に聞いてみると、一般的には35歳を超えると求人数が減り、仕事も限定的になると言う。

また40歳を超えるとかなり特殊な能力がないと求人がないとも語っていた。
つまり、35歳以降は、それ以前のキャリアを使って正社員として雇用される会社に入るか自営できるレベルになっていなければならないという事だ。
これは簡単に言うとフリーランスのレベルを普通の職業人が持たなくてはならないということなのだ。
私はフリーランスで仕事をしていたこともあるが、仕事が来ない時は本当に辛い。フリーランスとは仕事がなければ無職同様だからだ。


過日、アルジェリアで亡くなった派遣社員の方が、自分を必要とする場所ならどこへでも行くという言葉を残していたと聞いて、派遣労働者としてキャリアを積んできた人たちの人生の難しさを感じた。
私も仕事がドン詰まって苦しい思いをしていた時期、この言葉と同じ感覚を持った事があったからだ。

私が派遣労働者として働いていた時期は人生の中でもごく僅かな時間だったが、年齢と共にキャリアアップをして自分の価値を高めるのは、相当な能力を持っていないと困難だというのが実感だった。

通常企業が派遣労働者を雇う場合、法制上3年後には辞めてもらわなければならない。従って派遣労働者は自分のキャリアを継続できる別の企業の新しい環境下で働かなくてはならない。
何より派遣労働者にとって最も不利なのは、同じ年齢の正社員が持てるような情報やスキルを労働環境からは一切与えられず、評価も蓄積しないということだ。またボーナスがもらえないため、正社員との収入格差は開くばかりで全般的には非常に不利な環境になってしまう。


しかし企業側にとって派遣労働者は社会保障費用などをセーブ出来、ボーナスもいらないためコストフレンドリーなのだ。

もちろん選択的に派遣労働者をなさっている人も多くいるだろうから、私の意見が一般的な派遣労働者の意見ではないかもしれない。

正社員が身分化して労働市場に必要な流動性をなくしているという批判もあるが、それによって一定の生活設計を描け、家などのような大きな買い物が出来る面もある。

誰かがテレビ2030年後には国民全員がフリーターになる時代が来ると言っていたが、それも強ち的外れな見込みではないようにも思う昨今だ。
12年の8月に労働法が改正され、同一会社内での社員と契約労働者の基本的待遇に差別がないように規定された。しかし有期契約である点は変わらない。

人生を50年も過ごすと、キャリア形成という言葉が本当に身に染みる。私は若い頃にチャレンジしたキャリアを40代前半で一旦終了しなければならなかった人間だ。つまり大きく挫折している。
しかしその後の仕事が前半の人生のキャリアの蓄積に上に成り立ったので、その点は幸運だった。
しかしそれはちょっとした運命の歯車によって成立していただけで、実際は冷や汗ものだった。

社会人になって初めて正社員として10年近く同じ会社に勤める生活をして見える光景は、40歳以前の光景とは全く違う。確かに失ったものも沢山あるが、実際得たものも多い。私には才能だけで生きられるほど特殊な能力がなかったということだ。しかし私のように普通の人間が40歳を過ぎてのキャリアの再構築は、信じられない位困難だと知らされた。
社会がフリーターや派遣労働者のような労働体系を一生涯続けることを是としたら、私は一定の社会崩壊が起こると思っている。殆どの一般人はそんなに独特の才能に恵まれて生きているわけではないのだ。自分を振り返ってもそうだし、自分の周辺を見てもそうだ。そのため企業のような受け皿が必要だとも思う。フリードマンのような自由経済主義を信奉する人々には私の考え方は、誤っているし、甘いし論理的根拠もないと言われるだろう。
しかし完全な自由主義、もしくは自由という勝手な社会の果ては人間社会そのものを分断するような構造的リスクが考えられるのだ。
国が一定程度の範囲で国家としての機能を持つためには絶対に富の再配分が欠かせない。これを社会主義という人もいるだろう。資本主義が社会主義的要素を持たなければならないのは皮肉であるが、現実問題として社会主義的要素を排除したら国家は成り立たないだろう。
実際ユーロを見れば分かるだろう。全く違う経済力を持つ国々を1つの国のように扱い、通貨を統合し、富の再配分を殆どしないで自立した経済をルールにしたら全く機能不全したではないか。
そのために注入した金は一体何だと問われれば、ドイツが他国から儲けた分を再配分したに過ぎないという言い方だって出来る。フリードマンは企業には社会的責任など一切なく、株主のことだけに注力して経営し設ければいいと言っているが、私はこの点については彼の意見には全くの反対論者だ。それでは結局のところ社会全体が廻らないのが事実だからだ。

アメリカは自由経済国だが、それでも一定の富の再配分構造があるためそれなりにまとまっているように見える。
もしそうでなければ各州が独立運動を起こすだろう。スペインのカタルーニャ地方の独立問題だって根本的には再配分に絡む問題だ。
自由経済主義信奉者には残念なことだろうが、人間社会には完全な能力主義や自由主義だけで成立できない要因がある。それを何らかの方法で埋めなければ能力のある人材でさえも活躍できないような不安定要因が増し、結局能力のある人間にも損な社会形成になるだろう。

派遣労働者の話から外れたように見えるかもしれないがそうではない。労働環境の一定範囲内の保全は結局のところ誰にとっても社会的メリットがあるのだ。悪平等を推進している訳じゃない。自由勝手では社会の最適化は望めないのだ。そのかじ取り方法は、各国の国民が政治家を選んで決めればいい。

経済の論理的最適化は結局のところ泥臭い人間の社会にフィットしない。

派遣労働者やフリーターが増え、中高年になって不安定になれば税収、購買などに大きく影響する。場合によっては社会保障によって支えなければならないだろう。企業にとってプラスな事が社会にとってはマイナスであるかもしれないのだ。そういう意味で派遣労働者やフリーターという労働形態を無批判に社会が容認するのは、そろそろ考え直した方がいいと思う次第だ。


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