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派遣労働システムが国家を疲弊させる根拠 [徒然なるまま]

派遣労働システムが国家を疲弊させる根拠

 

 派遣労働というシステムは小泉内閣時代の規制緩和で発展して来た。それ以前の派遣労働は通訳などのスペシャリスト系の職種が限定されていた。しかし自由主義経済と規制緩和が国を発展させると信じていた竹中平蔵氏らが推進して現在のようになった。その間に起きた事は、グッドウィルに象徴された二重派遣や搾取であり、リーマンショックを契機にした派遣切りだった。

総務省は201346月期の労働力調査の結果を発表した。それによると、非正規雇用で働く労働者は1881万人に達し、四半期ベースでは集計開始以来最多だという。一方、正社員数は、3317万人で前年同期と比較して53万人減少したと発表された。男性の正規雇用の選択理由の3割は「正規労働枠」がないというものだ。また女性の3割は「家計の補助」だったという。また派遣労働者の60%が正社員を希望しているとも伝えている。現在の派遣での就労を選んだ理由(三つまで回答)では、「正社員の職が見つからなかった」(388%)、「好きな勤務地・期間・時間を選べる」(336%)、「働きたい仕事内容を選べる」(263%)の順だった。

 

派遣労働は企業側にとって非常に都合がいいシステムだ。正社員の解雇は容易でなく、ボーナスを含む人件費や社会保障費、教育費などを考えると正社員にかかるコストは小さくない。従って派遣労働者はコストパフォーマンスが良く、動労契約的にも容易に流動させることが可能だ。

私の会社にも派遣労働者が多数いらっしゃる。同じ空間を共有し、場合によっては似たような仕事をする場合もあるが、正社員と派遣労働者の経済的な格差は年齢と共に著しく大きくなる。

正直言って私は派遣労働という仕組みに大きな疑問を持っている。派遣労働は企業側に有利過ぎる仕組みだからだ。もちろん人によっては派遣労働というシステムの恩恵を受けている人もいるだろうし、問題を感じない人々もいるだろう。しかし先の総務省の調査発表にもあるように自分の意志と反して派遣労働者となっている人間が男性で3割というのは少ない数字ではないし、60%が正社員を望んでいるというのは派遣労働者の多くが現状に満足していないと言っていいだろう。

 

派遣会社の担当者と話をすると35歳を超えると圧倒的に状況が不利になると教えてくれた。相当なスキルを積んで来ていれば別だが、そうでなければ年齢制限で派遣先の候補が極端に減るからだという。

私はかつて派遣労働者だった時期がある。31歳から35歳頃のことだ。
自分自身でもかなり暗い心境だった時期と重なる。
派遣時代は金銭的に食いつなぐ以外には、キャリア的には全く何の役にも立たなかったという記憶だけが強烈に私の脳に刻み込まれている。
そういう意味でも私は派遣労働形態に疑問があるのだ。

私は現在働いている会社で、自分の支配下に居た派遣労働者の31歳の男性にある事を伝えた事があった。彼には妻と2人の幼い子供がいた。2人の幼子を成人させるために必要な費用は約2000万円と言われている。これは大学卒業までを含む。
当時の私は彼の収入を知る立場にいた。彼の年齢と当時の収入、そしてこの状態のままで、その後約20年に得られるべき予想収入を考えると、幼子2人が大学卒業まで進むのは相当厳しいだろう事は容易に推察出来た。
彼の得られるべき収入は、自分の職場で働いている同年代の正社員の年収と比較すると、約60%程度に等しいことも分かっていた。
この待遇格差はボーナスの設定や会社からの利益配分等の有無があるからだ。

私は彼に30代の早い段階で派遣労働者から脱却する術を自分で考え実行しなさいと伝えた。また必要であれば相談に乗るとも伝えた。
35
歳までのカウントダウンが始まっている彼には、余り時間がないことも申し伝えた。

さて、これを読んでいる人は何故私の職場で正社員として雇用しないのか?と疑問を持つ人もいるだろう。

非常に残念だが、私の職域において彼の能力は明らかにミスマッチだった。しかし彼はその職域で続けたいと考えていたのだ。
そのため、私は彼に対して早い内に職域を変えて派遣労働者から脱却する術を見つけなさいと伝えるに留まった。
そこで私は、自分の会社に留めておくことで彼の貴重な1年半を無駄にすると考え、私は彼に自分の考えを伝え、予定より早く業務解放することにした。

大きなお世話だったかもしれない。それでも私には彼のチャンスの可能性を拡げる事になるだろうと考えた。

彼は次の派遣先に行ったらしい。しかし3カ月で契約解除されたと聞いた。彼は今真剣に自分と向き合わざるを得ない状況にいるだろう。かつての私もそうだったように。

 

だいたい考えてみれば簡単に分かるのだが、企業が派遣労働者に責任あるプロジェクトを持たせる事はない。最長でも3年毎に会社を変わらなければならない人材に重要な任務をアサインできるはずもないからだ。
派遣労働者としてキャリアを積んできた人々は、年齢が上がっても正規の部下を持つこともなく、主要なプロジェクトを任せられた経験もないままに年齢を重ねて行ってしまう。
普通の企業で正社員として勤続12年働いていたら得られるような知識、見識、経験を、派遣労働者が得られないのは賃金とは別の最大の格差的問題だと言える。

派遣労働者が係長や課長になる事は絶対にない。つまりそういうことなのだ。

そしてそのまま35歳を過ぎると、キャリアの壁に苛まれることになる。同年代で正社員で働き、役職が付く可能性のある環境にいる人間と、ずっと派遣労働者として働いてきた人間では、キャリアチェンジに大きな違いが生まれる。特に40歳代になれば、もはや議論の余地のない程の差があらゆる面で出来てしまう。

 

個々の企業の固定費削減の対策として派遣労働者の雇用はプラスに作用するだろう。しかし社会全体の繋がりの中で見てゆくと、派遣労働者の置かれている立場は個々の企業の利益を相殺してマイナスにするほどの社会影響があると感じている。
正社員より圧倒的に不利なキャリア環境、収入格差はすなわち長期的な展望に立った人生設計が描けない事を意味する。

結婚や出産、マイホームなどかつての中間層と言われた人々が普通にやってきた生活は殆ど望めないからだ。

これは企業にとってもマイナス要因となる。中間層の喪失はすなわちマーケットの消失を意味する。つまり企業が収益確保にメリットがあるとして派遣労働者を使えば使うほど企業自身が市場を縮小させる理由を作り出すというパラドックスに陥るということだ。
私よりも頭脳明晰で情報も多い厚生労働省の役人なら、この懸念を数値化によって証明してくれるかもしれない。

 

厚生労働省発表の情報では、相対的貧困率(年収112万円以下)は16%(平成21年調査)にのぼる。子供がいる現役世帯では14.6%となっている。

 

そろそろ日本の貧困率がOECD諸国の中で上位ランクにいる根本的理由を正すべきだろう。中間層が失われ、経済格差が広がり、貧困層が子供の教育にお金を割けなくなるという事は、重大な国家的損失だ。
教育のない国民の醸成は長期的には国を滅ぼす事に繋がる。日本は相互補助的思想の強い国だが、グローバル化の名の下に、成果主義、弱肉強食がはびこり、社会人野球と大リーグが同じ土俵で試合をして勝てないと国家に未来がないような言い回しをする連中がはびこっている。確かにグローバル化による一定の強化は必要だが、現在のアメリカ社会を見て分かるように、競争の果ての社会疲弊は著しい。政治家、官僚たちは、日本を現在のようなアメリカ社会にしたいのだろうか?

Money Talksという言葉がある。金はモノを言うってことだ。
1%
のスーパーリッチや企業群が民主主義を蔑ろにするほどの規模と影響力でアメリカ社会を牛耳っている現実は、まさにMoney Talksを如実に反映した結果でもある。

過激な言い方かもしれないが、現在のアメリカ社会は巨大企業群とその奴隷によって構成されている社会と言っても良い。
数十年前のSF小説に出来てきそうな設定だが、今まさにこれは起きている。

 

私は将来の日本社会を現在のアメリカ社会のようにしてはならないと信じている。オバマ大統領も議員時代には現在のアメリカ社会を変えようとしていたと思うが、大統領になってから正反対の方向へと突き進んでしまった。

しかし自民党がアメリカ追従型によって政権を維持しようとするなら、日本のアメリカ型社会への転換は想像以上に早く成る可能性がある。

TPPはそうした意味で大きい。TPPはまさにアメリカの巨大企業群の生命線を日本市場につなげるための政治戦略だからだ。

郵貯でアフラックの窓口を大規模に開設するという事実は、こうした動きに呼応していると見るのが自然だ。

 

アメリカにも派遣会社がある。日本とは違ったルールで運用されている。TPPに関係した影響が派遣業界に及ぼす部分があるのかは分からない。

しかしいずれにしても、派遣労働者=非正規労働者の増加は、長期的な社会構造に根深いダメージを残す。

一見雇用の流動化という言葉は耳触り良く感じるかもしれないが、流動化に耐えられる能力をもった人材というのは多数派ではない。

ある意味でサラリーマンというのは個々が特別な才能を持っていない集団とも言える。しかしそうした人材がチームを組むことによって初めて大きな力を発揮するのだ。
そうしたサラリーマンのような人材を自立的な能力人材と戦わせるのは、草野球の選手をイチローと同等に戦わせるのと同じだとも言える。
無能な者は去れという社会ならそもそも政治など要らない。また有能な人々も自分一人で成り立って生きているのではないという事実を謙虚に考えるべきだろう。それが人間社会の本質なのだから。


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とある人材募集広告を見て [徒然なるまま]

 

以下は、とある会社の人材募集広告である。ある作家の事務所だ。
実は私はこの会社の事を多少知っている。それから推察するに、前任者もしくは担当者が遂に辞めた訳だろう。少なくともその人物はかなりの年月年これに近い仕事をやっていたはずだ。
その人物が辞めたとなると相当だなあ感じた。結局この会社は相変わらず必要な人材をキチンと育てられず、使い捨てにしている実態があるようだと推察する。当時から周囲から従業員が良く辞める会社として評判だった。
人を育てられないことで困るのは彼らだがそれにしても懲りずにずっとこの調子のようだ。

さて、この会社の人材募集の人材応募定義に書かれている要綱がどのような意味を持っているのかを私なりの解説をしておく。
仮にこの業務に応募しようとする人は、以下を読んでから自分で考えてから先の行動を決断すべきである。

 

◇募集職業:音楽制作エンジニア

◇業務要件と各業務へのコメント:

◎楽曲のアレンジを音楽制作ソフト「A」に入力し譜面を起こす仕事。
◎アシスタント業務。

コメント:上記二点はどういう業務かと言えば、作家氏のプリプロ段階でのPCを使用した作曲作業時に、作家と共に音楽制作ソフト「A」を使いながら彼が持っているシンセのオペレーション等、また作家氏がリアルタイム等の演奏で入力したデータの整理(つまりゴミのような手弾きの不要情報の削除等の細かい作業)、また各データの録音作業と録音データの管理、またその他のデータの管理を指します。ついでに譜面管理作業等もありますし、楽器等の管理(楽器の設置等)も含まれると推察します。
また当然本番のレコーディング時でのスタジオ内のオペレーションをやることになります。加えて本作業の過程では、露ほどのミスも許されず、マシーントラブルで作業が止まったり遅延したり、オペレーションミスや、データ管理ミスなので業務が遅延すると作家の機嫌は著しく悪化し、尚且つ人間関係に冷たい空気が吹きつけます。まずこれに耐えられるかが問題です。


◎作曲環境整備、円滑な業務進行、作曲家の付き人。

コメント:上記コメントにもあるように作家の作業環境を作家の生理に合わせて整え、ミスのないように万全の準備をし、作業に支障がないようにあらゆる面で高い精度を求められる訳で、実際問題として準備側には非常に辛い作業環境でございます。


◎能力やご希望を鑑み、制作進行の補助、作家のマネージャー、デスク業務などを担当を想定。

コメント:これはエンジニアとして一定期間働いてみて、上記のスキルがあり、なおかつ作家との相性も悪くなく、「希望であれば」、作家の現場マネージャーも「追加」でやらせてもらえるということです。希望を鑑みとあるが、かなりの確率でやらざるを得ない状況になる可能性があります。
つまり音楽制作以外の部分での通常のマネージメントに関わる作業や業務負荷が追加でかかって来るということです。また給料はこれによって特に大きくは上がりません。実際問題として1人でここまでを対応できる出来る人間はおらず、この業務要求には明らかな無理があります。これはつまり現在のこの会社には、音楽をサポートする人材と現場のマネージメント(つまりボーヤ)が両方不完全な状態ですと言っているに等しいのです。理由は簡単でどちらのポストも従業員が短期で会社を辞めてしまうか、辞めさせられるからです。

◎仕事の現場内容によっては「待ち」時間がある場合があり、忍耐を持って望んで頂く場合もある。

コメント:要するに業務状況によっては、深夜業務も辞さないという人間を必要と言っている訳です。ちなみに残業代や深夜帰宅のタクシー代は、私の知る範囲においては全く会社から出ません。つまりサービス残業で深夜帰宅も自腹か、場合によっては会社に寝泊まりとなります。(今の事務所に寝泊まり出来る場所があるかは不明)。
またそれだと深夜帰宅に支障があるのでタクシー代を出して欲しいというと、会社から遠い場所に住んでいる場合、会社から近い場所への引っ越しを自費でしろと云う可能性を否定出来ません。実際それが理由で会社を辞めて人間がいたという情報を関係者から聞いた。

◎音楽制作ソフト「A」の操作が出来る人材 (程度不問)

コメント:程度不問とあるが、ある程度のレベルで使えないと作業に支障を来す訳ですから結局作家が文句を言い始めるでしょう。またソフトがマニュアル通り使えるだけではだめで、ソフトとPC環境等についても詳しくないとトラブルの際に解決出来ず辛い立場に立たされます。
◎楽譜が読める方

コメント:作家のレコーディングには写譜等を使用する場合があるため、譜面チェックをするためにこうしたスキルを求められるのだと思われます。フィナーレなどの譜面化ソフトを利用しようとした事もあったはずですが、現在は不明。
社会人経験のある方

コメント:ここでの経験は過去の社会人経験とはまったく異次元となりますですので、通常の社会人経験があっても殆ど有益なものになりません。
◎普通自動車運転免許をお持ちの方
コメント:つまり可能な場合、作家の運転手もやれっていうことにも解釈できるかもしれません。


[
希望する知識・スキル]
Classic等音楽に関する全般的知識

コメント:作家の音楽性からして必要だが、エンジニアでクラシックの教育を受けた人間と同じレベルでスコアーを読めて音楽ソフトを操り、マネージメントも出来る器用な人を見た事はない。もちろんこの仕事をするならば一定の音楽知識が必要なのは常識。

◎高度なPC操作スキル

コメント:高度というのが定義として曖昧だが、スタジオでの作業に支障のないレベルは必要になる。

雇用形態は、契約社員・アルバイトもしくは業務委託のようだが、契約の場合2ヶ月契約で契約更新というのはプロジェクト毎を想定しているんだろうか? 


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迷える2010年代の若者たち [徒然なるまま]

迷える2010年代の若者たち


ルポ 若者ホームレス (ちくま新書)

 

「ルポ 若者ホームレス」という著作がある。飯島祐子氏というルポライターの著作だ。本書を知ったのは「女性ホームレス」という著作の中に紹介されていたからだ。2010年の出版だが、本書の中身は現在においても通用する。
著者は自立支援団体のビッグイシュー基金で執筆活動している人物だが、本書は綿密な取材を通じて社会から弾かれてしまった若者たちの実態を浮き彫りにしている。本書は読み進める毎に心を挫かれるような社会実態を露呈する。堤美果氏の「貧困大国アメリカ」を読んだ時のような大きな衝撃があり、未読の方にはお勧めしたい書籍だ。

若者が正当な活躍をする場を失った社会は、将来性に大きなリスクを追うと思っている。社会が若者を適切に受け止め、適切に教育し、次世代に役立つ人間として成長させない限り、国の未来が無いというのが私の持論だ。
もちろん一言で若者と言っても自堕落な人間や、信じられないほど無責任な人間だって数多くいるだろうし、正直社会に何の益ももたらさない輩だって数多く存在する。その中には劣悪で無能な親に育てられた環境要因が遠因のある場合も多ければ、本人そのものに原因のある場合だったある。

「ルポ 若者ホームレス」を読んで驚いたのは、チキン仕事をすることの意味や、どのようにして次の仕事を捜し、働き、キャリアを積んで行くかについて殆どイメージが出来ない若者が数多く存在する事実だ。最初の勤め先が劣悪でも、比較する対象がないため環境を従順に受け入れてしまい、やがて燃え尽きてしまうのだ。
これには学歴の影響もあるようだ。若者ホームレスの半数以上が高校中退を含む所謂中卒なのだ。もちろん大卒などの高学歴者も存在するが、極めて少数だ。東京の場合、ネットカフェ宿泊者や路上生活などの住居喪失者の学歴を見ると、高校中退を含む中卒までで約40%、高卒までが約43%。高卒以下でくくるとほぼ83%近い。学歴が彼らの行動様式に大きな影響を与えていないと云うのはかなり難しい数字だが、彼らがホームレスになる過程は非常に複雑で一面的に語る事は出来ない。

(厚生労働省の住居喪失不安定労働者の調査)

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/dl/h0828-1n.pdf#search='%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81+%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E9%9B%A3%E6%B0%91'


私もそうだったが若い時ほど、“先の事は何とかなる”と楽観的なものだ。私が若い時代、中卒でも社会に入ってキチンと生きて人間も多く、学歴にもかかわらず何とかなっていた人が多かったように思う。時代や社会にも受け入れる幅もあったし、社会に出れば学歴とは関係ない業務分野が必ずあったからだ。
しかし時代が変わり、現代のように社会の受け皿が狭まって来ると、その楽観的観測は人生のリスクにさえなる。

私が彼らのような若者だった時代であった1970年代後半から80年代に、少なくとも東京都内に若者のホームレスがいるという光景はなかった。その昔、新宿西口に数多く住んでいたホームレスの中には明らかな若者を見た事がない。ホームレスと言えば中高年から高齢者が相場だったからだ。
当時のホームレスの平均年齢は優に50歳を超えていただろうが、現代では40代前半だと言われている。
NHK
の調べでは平成14年の段階で30歳以下のホームレスは13%だったが、平成25年の段階では30%を超えたという。これはちょっと異常な数値だ。
若者ホームレスが出現する背景は社会背景の変化と重なる。
非正規労働者の増加は過去四半世紀で2倍となり、若者のホームレスの出現の顕在化とほぼ一致する部分だ。
また我々が直接目にする路上生活者以外にもネットカフェ難民やマック難民なども含めれば、膨大な数の若者が都内で住居を持たずその日暮らしに近い形で生きていることになる。我々は日常気がつかないが、直ぐ隣りに座っている若者がそうかもしれないのだ。
仮にネットカフェで一晩1,000から1,500円程度を支払っているとすれば月額30,000円~45,000円となり、アパートを確保出来る金額を支出しているのと同じ状態になる。もちろん毎日ネットカフェで過ごせない人が多数だろうが。
しかしネット難民はそれ以前に住居や保証人がないことや、まとまった引っ越し代を持たないためアパートへの入居が高いハードルとなってしまう。
また親子関係に様々な問題を持つ者が多いため、実家を頼って問題解決することも出来ない人間も多いようだ。
マック難民は調査が困難であるため明確な数値化がされていないが、トレース出来ない若者ホームレスは都内に数千人単位を超える数と言われても驚かないだろう。

規制緩和による多様化する雇用形態は、労働者の働き方のニーズを捉え、自分の人生を自分で決め、謳歌できるような風潮を煽ってきた面があった。しかし実態的な派遣労働は社会保障面や経済面で遥かに損失が大きく、実質的には同年代の一部上場企業のサラリーマンの6割以下の収入となってしまう。
2009
9月のリーマンショックで、製造業の派遣労働者が多数クビを切られ、派遣村なるものが日比谷公園に出現した時でさえも、世間の一部は労働の自由を選択した彼らの自業自得だと冷嘲していた。
もちろん彼らにも様々な事情があったのだろうが、確かに自業自得な面は否定できない部分は残る。
しかし派遣労働の規制緩和をしたのは政府であり、そこに起こりうるリスクの一部は政府の責任であることは免れないし、㈱グッドウィルのような社名とは180度異なるような犯罪組織的な派遣会社の存在は、自由経済や規制緩和がもたらした明らかな弊害と云える。派遣労働を選択したことによる個人が負うべき結果責任は確実に存在するが、全てを個人に帰すのには疑念が残る。

私は30代の前半の食えない時代に音楽関係の派遣労働者をやっていた時期がある。カラオケの音源制作関係や、浜松のYAMAHA楽器の工場でシンセのバグ出しなんかまでやっていた。
当時の記憶は私にとっても忌まわしいもので、当面の金を稼いで食いつなぐという行為以外に長期的な視野で自分の人生を考える事が殆ど出来なかった。
要するに毎日生きるので必死ということだ。
当然のように年金なんて支払える余裕がある訳もない。未来への投資より目先の今の金に必死だったのが当時のリアリティーだ。
また人生のキャリアに全く貢献しない仕事をしなければならない自分の不甲斐なさを嘆いたものだ。
社会人の初期は、音楽業界での仕事を自分で望んだとは言え、金銭的にも労働待遇もかなり極限的な低い環境であったが、夢に向かうエネルギーだけが私を支えて仕事をしていた。結果的には金銭的には殆ど恵まれなかったが、金に変えられない体験や経験をしたことで了とするしかなかった。
目先の生活への対応や上に上がろうとする毎日に精一杯で、自分の置かれた環境が同年代の正社員よりも圧倒的に不利であるという事にさえも気がつかない、いや気が付いていても知らない振りをして働いていた愚かさがあった。
頭の良い連中ならキャリア形成に敏感で計算高く生きる事が出来るのだろうが、私のよう凡人には社会における自分の立ち位置が何処なのかさえも見失っていたのが契約・派遣労働、フリーランス時代だった。

実際、フリーランスになって仕事のない時は無職と同様の時期を過ごしていた時代は、自分の貯蓄を食いつぶし、あと半年余りでホームレスにならなきゃいけないと覚悟した時さえあった。
私は適切なキャリア設計や自立的経済生活を営めない人間の末路は自己責任の範囲だろうと思っている。年金もキチンと支払っていなかったので貰えないのも当たり前だ。
そういう意味で、「ルポ 若者ホームレス」に出てくる人々は、私にとって紙一重とも言える人たちなのだが、幸いな事に私はホームレスにはならないで済んだ。この一線を画したのは私の僅かな音楽業界時代の人脈による助けが大きかったと思っている。私と彼らを分けたのはそれだけではないだろうが、人脈の救いは大きく、また辛い時期でも根気よく我慢して耐えて生きていた事だけだろう。

若者がホームレスになる過程は殆ど典型的とも言えるパターンがある。
働き始めが正社員であろうが非正規であろうが、その次は必ず製造業や建築関係のアルバイトや非正規を経て、過重労働で劣悪環境下の日雇い労働となり、耐えられず、蓄えもないままに路上へと転落するパターンだ。
また彼らが選択出来る職業も飲食店、パチンコ店、新聞販売店、水商売、警備員、建築業など比較的履歴や経歴のチェックのハードルが低い業種に流れ、目先の生活費を稼ぐ事に追われるために、その循環の中から脱出することが全く出来ないまま一定の年齢を経てしまい、最後には行き詰る。頭脳労働者になるのは殆ど無理になってしまう。
ルポの中でインタビューに語っていた20代の若者は工事現場の飯場の劣悪さについて証言しており、「飯場に行く位ならホームレスの方が遥かにマシ」と答えている。女工哀史じゃないが、現代でもこんな職場環境が現存しているだと知ると空恐ろしい限りだ。

結局のところ、彼らの能力の限界と言ってしまえば全くその通りでもあるのだが、彼らに適切なアドバイスや環境を与える大人が存在していれば、場合によって避けられたケースもあったのではないだろうか?と感じる。もちろん彼らに聞く耳があればの話だが。
しかし彼らのような弱い人間を利用した職場環境を作っている大人たちの卑劣さや劣悪さは憤りを超えて犯罪行為だ。
大人側の犯罪的な職場環境生成の有り様も若者ホームレスを産み出す大きな要因である事は間違いなく、こうした環境を政治や行政が適切に取り除けないとすれば、もはや何を信じて日本の未来を語ればいいのかという感じではないか。
弱肉強食を是とするだけなら人間には「社会」という構造は不要だろう。

建前論はともかく、国家や行政が全ての人間を平等に救える訳じゃない。行政には現場で働く人間のバイアスがかかる。従ってそのバイアスによって期待した形で事が進まない。
私は救済にかこつけた悪平等も支持したいとも思わない。また救済にかこつけた貧困ビジネスをする連中には神の報いでもあれば良いと思っている。
自立的で自助努力による一次的な解決がなければセーフティーネットも張りようがないというのも事実だろう。
易きに流れない事で、蟻地獄に入らないようにするのも本人の能力の問題だ。私はホームレスに至る若者たちが全て社会の責任でそうなったとは考えてない。そこには必ず本人が解決出来る問題をキチンと解決してこなかったという部分が存在するからだ。
それでも教育環境や家庭環境を改善する努力を率先して行うべきは大人の責務だ。若い時は物事を楽天的に捉えやすい。小学校、中学校から教育をキチンと受けないで大人になるリスクを子供に徹底的教えるべきだし、子供の教育の阻害要因になる親の存在は、極論、行政を介在させても排除すべきだろう。
現代のように多くが大学を卒業する時代において、学歴の差別化は困難になってきている。中卒、高卒がそれだけでも社会的に不利な状況を直ぐに変えようと思っても難しい。このシステムは長い時間をかけて醸成されてしまっているからだ。私は、社会において学歴と仕事の能力は比例しないと考えている人間だが、入社に際して企業が学歴を全く除外するかと言えばそんな事はない。
残念ながら大卒の学歴を持ち得る人間は、受験勉強の苦しい過程を経て大学に入るという学歴以外の部分の評価も合わせれば、中卒に勝り、高卒より評価があるのは根拠のある考えだ。

いずれにしても、若者ホームレス問題は、日本国の問題として座視できない。長期的に見れば人的損失であり、社会に暗い影を落とし、犯罪の温床になり、負の連鎖の根源にも成り兼ねないからだ。
経済学者のスティグリッツも言うように社会の安定には一定程度の再分配機能が必要だ。弱肉強食的な単純な発想は、基本的に人間の社会に馴染まない。また経済格差は政治の配分機能の平準化によってのみその平等を担保することが可能なのだ。
アメリカのような富裕層のロビー活動によって成立した歪な法律による社会保障や税の運用は、政治や社会にゆっくりとした死をもたらし、ひいては社会そのものの不安温床としてしまうだろう。
政治の配分機能の平準化は政治の最低限度の身だしなみであり、それによる悪平等の排除、過剰な富の偏在の是正、個々人が自立できる環境整備、相互援助によるセーフティーネットの形成することが社会を一定範囲にまとめ、次世代に引き継いで行ける様々な資産の余地を作る事が出来る社会形成方法だと思う。

しかし、若者に限らず個々人は、一定程度は自立的でなければならない。全てがおんぶに抱っこでは社会が彼らを維持するのは本来無理だからだ。
前述したが、若者ホームレスには酌むべき事情が多々ある。だからと言って彼らに改善すべき点が全くないとは言えない。そうした複合的な視点からこの問題にどのように取り組み解決して行くかを考え実行してゆかなくてはならないだろう。

なお、余談になるが、私の人生経験に照らし合わせるのであれば、非正規労働形態は長期的に見ると全く経済的に見合いない。
給与以外にも社会保障費の企業補てん分など、労働者の貯金通帳には現れない企業側のコスト負担分は非正規労働者にはないためだ。これを長期的に積み上げると数千万円単位になり、非正規労働者は長い時間をかけてこれを失っている訳です。
正規労働者は、20代の後半の早い段階で正規労働もしくは起業等で自立出来る形に転換できるように自助努力しないと、社会的に不安定な立ち位置を強いられることになる。
また非正規労働者で35歳まで務めると正社員になるのは殆ど不可能だ。35歳を超えると企業からの求人条件に合わなく成り始めるからです。
企業において35歳は、出世の早い人間だと課長が出現するキャリア時期を迎える。非正規労働者は総じてキャリアの積み上げが一定していないので、再教育に時間とコストがかかり、社員育成に見合わないと烙印を押されがちなのです。
35
歳以降も非正規労働で食いつなぐと、自ずと仕事の選択枝に限界が出てきて、労働条件が加速度的に悪化致します。
相当な技能を持っていれば別ですが、平凡なキャリアしかない場合は、条件悪化の渦を排除出来なくなります。長期的視点から見ても非正規労働で一生をやりくりするのは実際問題として相当難しいと分かるはずです。
私の職場にかつていた30代の非正規労働者には、それ趣旨を伝え、一日も早くキャリアを変えるように言いました。彼は現在別の職場にいるようですが、この事実に向き合ってくれていればいいなと思っております。
特に50歳を過ぎ、老後の問題が真近かに迫る時期になると、貯蓄や将来に得られるべき年金を含む金融資産の有無が生死を分ける事態になります。
実際一生を非正規労働で送った場合と正規労働で送った場合の生涯賃金は2倍以上も違うというデータがあります。生涯賃金はそのまま目先の資産に現れ、社会保障は、高齢者にあって顕著になります。
人生設計を考えた場合、非正規労働は不利を通りこしております。労働市場の柔軟性を言う人もおりますが、結局それは社会を蝕む遠因になっている事実も勘案しなければならないでしょう。

実は私は、当時一部上場会社だった現在の会社に42歳で契約社員として入り、44歳で正社員にしてもらい、45歳で課長に昇進させてもらったのですが、多分こういうのは相当な例外なのだと思います。私の場合は運も味方してくれたのだと思いますが、42歳での段階で一度は無職なって失業保険を貰っていた私が今の会社に入れなかったら多分ホームレスに近い状態になっていたのでしょうし、場合によっては自殺を考えていたかもしれません。

ちょっとしたボタンの掛け違いで人生が大きく変わるという事を私は経験しています。毎日普通にサラリーマン生活を送っていても渋谷駅や新宿周辺で見かけるホームレスに目が行かない日はございません。私は彼らになっていたかもしれないからです。

現在若者の4割が非正規労働者だと言われているのだが、マクロ的に見れば、非正規労働者で浮いたコストを社会が食んでいるとも言える訳です。特に製造業に多い非正規労働者が作る製品は、結局企業と消費者にだけ還元され、それは非正規労働者に戻る事はありません。

私はこの循環の断絶の狭間に落ちたのが現代の若者ホームレスなのだと思います。この循環を今すぐ断ち切って違うシステムにすることはかなり難しいでしょうが、政治も含めて悪循環を断ち切るため意志を持って対応するしかなく、それは政治や行政による対応であろうと思う次第です。

自分が正社員になって実際に感じるのは、正社員は身分化している事実だ。業務的な内容や度合いではなく、正規か非正規で待遇が決まってしまう。これを社会のルールだと言う良い方もあるが、非正規から見たら正社員という待遇は雲の上のような存在でもあるし、差別的な感覚を持つもの当然だろう。
しかし逆説的に言えば、だからこそ皆必死にそのポジションを取りに行こうとするインセンディブが働くのだとも言える。椅子からあぶれることは人生をリスクにさらすのと同じだからだ。時代と共に正規、非正規の在り様は変わるだろうが、革命的に変化が起こる事はまず無かろう。そういう意味で現代における若い時の生き方は、その後の人生に物凄い影響を与える時代になったと言える。

また年功序列を敵視する意見もあるが、日本は年功序列を50年以上に渡って社会に組み込んまれて来た背景があり、一定の社会インフラになってしまっている。企業や業態によっては年功序列を少しづつ排除する人事形態になる所もあるだろうが、年功序列の功罪を図るのは簡単ではなく、またこのシステムを変更する場合の社会的影響や経済的影響は相当なものとなるだろう。年功序列の在り方も時代と共に変化をして行くのだろうが、今から10年後に完全に無くなるとは到底思えない。しかし現代でも年下の部下や自分より給料の良い年下が少しづつ顕著になり始めてきており、かつてのように年齢と収入が自動的に積み上がる時代は目に見えない形で減少し、20~30年程度をかけて一般的に分かる形で年功序列が無くなって行くのだろうと思う。私は、そういう時代を生きる若者たちには、高度な人生設計の思考が求められるし、個々人の技量も一定以上にないと生き抜けない、かなり殺伐とした時代になるかもしれないと考えている。それを「格差」と呼ぶべきなのか分からないが、サラリーマンの社内格差や、業態間の格差はこうした方法を取れば自然に拡がって行くだろう。はたしてそういう社会が望ましいのかは私には分からない。


最後に断っておきたいのだが、このような労働問題に関して書いているからと言って私は左派系の政党支持者ではありません。どちらかと言えば無党派層です。しかし左派であろうが右派であろうが中道であろうが、日本の若者ホームレス問題は座視出来るものではございません。私とは基本的な政治指向が違うにしても、こうした問題に日々取り組んでいる人々には敬意を払っておりますし、彼らには今後も頑張ってもらいたいと思っております。

以上。


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50代からのメランコリー [徒然なるまま]

50代からのメランコリー

 

50歳を超えると色々と違う風景が見えてくる。20代に描いていた自分の50代のイメージと現在の自分は大きくかけ離れてしまっているかもしれない。逆に思い通りの人生を満喫している人もいるだろう。この年代は哀しい程社会的地位が決定的になる。
サラリーマンの50代はキャリアとして上がりの年齢であり、普通ここから突然キャリアが上がったりはしない。

社長になる者、役員になる者、部長クラスで居る者、課長で止まる者、ヒラのままの者など様々な立ち位置が決まる。年下の上司なんていう状態を甘んじて受け入れなくてはならない人だって多かろう。ここまで頑張って来た結果として、なかなかこうした現実を受け入れられない人が数多くいるに違いない。
おまけに自分より能力に劣っているが、会社の都合で役職についてしまったような若い上司の下で働く現実に、拷問のような気分で居る人も多数いるだろう。

ましてや自分の立ち位置がそれなりに頑張った末の結果だとすれば、どこで自分は積み上げ方を誤ったのだろうか?と自問するに違いない。

段々とメインの仕事から外されて、会社からの期待もなくなり、それとなくゾンザイな扱われ方にプライドをズタズタにされて、イラ立つ人も相当に多いはずだ。
でも日本中でそういう想いの人は自分一人だけじゃないんだという事は忘れないでいましょう。また皆さんの事を負け犬だという連中にはそう言わせておけばいいのです。禍福は糾える縄の如しとも言いますから。そういう連中にだって何かが起こる訳です。
私の知り合いにもそういう方を多く見かけるようになりました。嘗ては時代の先端を行くようのポジションで仕事をしていた人々も、キャリアの上がり具合に行き損じたため、止む無く会社を去る人もいる。

また独立後、決して順調とは行かないまま還暦に達し、仕事から引退する決意する人もいる。この年代は本当に様々な人間模様を見せる年代なのだ。

サラリーマンを例にすれば、マネージメントに入れる人間は社員全体の約2割以下なのです。そう、現実的にはサラリーマンの約8割はヒラで終わる。
もちろん役職を上げて責任ある地位に就き、高い報酬がもらえることに越した事はない。でもそうした人生を選択できる人はやはり限られた人たちであることを否定できません。その中に入れなかったとしてもそれを嘆く必要はない。

50
歳という年齢は、野球でいえば7回裏辺りにいる気分だが、やがてサラリーマン人生はゲームセットを迎えます。そして退職してから死ぬまでの人生だって結構長い期間がある。サラリーマン人生は9回表辺りだが、人生としてはまだ7回裏位なのです。
私自身を振り返っても、50代とは「自分を知る」年代ともいえる。いや自分を突き付けられると言ってもいいだろう。

成功者を羨む気持ちもある。しかし自分は自分でしかなく、その自分と死ぬまで付き合って行かねばならない以上、自分を殊更卑下することもなかろう。他人と比較ばかりしていても生産的な人生を送れる訳でもない。

50代にはいいしれないメランコリーがあるが、人生が締め切りに近付く中で、不要な物や事に惑わされなくなり始めた部分は良い年齢だと感じる。


私が
50代になって初めて感じたのは、「ちゃんと死ねる自分」でありたいということだろうか。


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映画館やコンサート会場で見かけるちょいと迷惑系なアルアル [徒然なるまま]

映画館編:

(1) 何故か東海林太郎(この例じゃわかんないよねぇ・・・)のような感じで座席の背もたれにほぼ直角に座り、後ろの人から見て頭が完全に映写幕を邪魔して困っていることに配慮もなく気がつかない人。

(2) とにかく頭がでかいのに自覚も配慮もなく後ろの人の視界を殆ど遮る人。

(3) 上映中、頭の上に更に高さのある帽子を被って取らない人。

(4) 私語は謹んでね・・と上映前に注意が出るのに、自宅の居間にいるようにずっとペラペラしゃべっている人たち。たかだか2時間位一人で黙って見る事が出来んのだろうか?

(5) 上映中、やたらと同行者に映画の内容について質問を浴びせる人。映画位、自分の頭で考えてみる事は出来んのだろうか?

(6) 映画の機微に全く関係ない反応を示す人。不思議な反応する人っていますよねえ。

(7) いびきをかいて寝ている人。たまに酷いの居ませんか? あれには本当に困る・・。

(8) 上映中に携帯メールのチェックをする人(マジで最近多い)。映画上映中に見なけりゃならんほど緊急な用事のある人が、映画に来る事もないだろうにと思う。気が散るし迷惑なのでお止めください。

(9) 上映中に携帯電話に出る人。(これは実際経験しました。) 
正直驚いた。同行者も注意すらしないので更に驚く。

(10)              食いもんや飲み物の音をたてて飲食する人。しつけの問題だね。

(11)              長時間座るのが苦手なのか、とにかく態勢を頻繁に変える落ち着きの無い人。

(12)              特にシネコンなのだが、不要に前のめりの姿勢で見るため後ろの人の視界を大きく遮ってしまう人。座席の設計上、あれって結構邪魔です。映画館は前のめりになって見る利点は殆どないのでゆったり座ってご覧ください。

(13)              明らかに座席に相当な余裕があるのに、後から来たのに既に人が座っている前に座って、尚且つ(1)や(2)の人。後ろの席への配慮位は致しましょう。

結論:そういう訳で私は空いている映画館が大好きです。


コンサート編:

(1) ライブ中、ずっと一人で悦に入って大声で歌い、演者の歌に被るほど声が大きく周囲の聴衆の邪魔する人。気持ちは分かるのだが、君の歌を聞くためにこっちは高い金を払っているのではありません。

(2) 何だか知らないが、ライブ中にずっと連れと喋っている人。何のために来ているんだろう? 唄声喫茶と間違っているんじゃなかろうか?ロックコンサートとは言え、喋り声のお陰で周囲がライブ演奏に集中出来ないので本番中は、不要なおしゃべりは控えましょう。特に声のデカイ会話は最悪です。

(3) どう考えても若い女の人の趣味とは思えないライブに女を連れてきて、ライブのウンチクを自慢げにする中年のオヤジ。

(4) ライブの機微と無関係な盛り上がりを見せるちょっと困った感じの個人もしくは一団。やっぱ変ですよ。

(5) 男義を見せようとしているのか女を肩車する男性。後ろの人の視界に完全に邪魔です。(野外や海外では多いよね)

(6) でかい応援幕や看板をずっと頭上に掲げる人。これは後ろの人の視界を遮り完全に邪魔です。(結構アイドル系で多いようです。気をつけましょう。)

(7) コンサート中にサイリュームの光を頼りに化粧を直す女性。それって今やんないとダメなの?って思うのだが?

(8) やたらと拍手の音がでかくて周囲とは明かに全く違うテンションで一人物凄いでかい声で盛り上がっている外人。(渋谷公会堂でのテデスキ・トラックス・バンドの時、後ろにいた外人が耳元で叩く拍手の音が余りに酷くて死ぬかと思った。)

(9) アーティストの気を惹こうとして下らないとしか思われないような言葉を投げかけてアーティストを本気で怒らせる人。あるアーティストの千秋楽はこれで台無しになりました。

(10)              周囲は全員座っているのに一人で立って踊って盛り上がっている人(気持ちは本当に分かるんだけど、ちょっと後ろの人には迷惑かもよ・・・。)

(11)              1曲目から総立ちになるライブ(これは仕方ないんだが、実際オジサンには辛いっす)

(12)              比較的照明の暗い演出中なの、携帯やスマホを取りだして操作を始める人。少し位我慢出来んのかねえ。

(13)              演奏されている音楽を棄損するような応援や楽しみ方をする人。かなり昔ですがピアノのバラード曲に合わせてずっと3連のリズムで手拍子しているツワモノが居たのには驚いた。台無しにしてくれました。

客質って結構ライブの視聴環境や感動の度合いを変える時があるんです。お互いに周囲へ気を使いながら楽しみましょう。


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神田祭り(2013年5月12日)の写真 [歴史&庭園(History&Garden)]

2013511日から12日にかけて行われた伝統的な祭り、神田祭りが開催された。写真はその時の模様です。

実は初めて見ました。

まさに江戸の臭いが感じられる壮観なもので素晴らしい祭りでした。
しかしお祭りの写真って撮影するのがかなり難しいと実感しました。まだまだ修行が足りないようです。

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英会話信仰という宗教に陥っている経営者たち [徒然なるまま]

 

ユニクロ、楽天など英語が社員スキルの中核だと謡う企業が増えている。
TOEICでの高得点が出世の最低条件という企業も増えつつあるようだ。
その数は
2500社に上るようだ。
個人的に英会話は出来た方が良いと思っている。私は学生時代、英語が苦手科目だったが、音楽業界で働くようになり、外国人ミュージシャンとの仕事が増えたことで学ばざるを得なくなり26歳から英会話の勉強を始めた。英語学校に行こうと思ったが当時は給料も安く時間の制約もあり結局NHKラジオ英会話と映画で学ぶ事にした。多少習得に時間はかかったが結果的に英会話には困る事はなくなり、学生時代より飛躍的に英語が分かるようになった。必要に迫られた事が良かったのだろう。

さて、昨今の企業の英語要件は、とにかく英語が出来る=グローバル化という経営者が多いように見える。経営者によっては英語が出来ればそれで良いんだみたいな英語極右もいる。それならアメリカ人とイギリス人を中心に雇用すればいいんじゃないの?と思うほどだし、英語が出来る=グローバル化ならアメリカとイギリスが経済的にも能力的にもダントツであるはずだが、実際はそうなっていない。

過去に某大手電機メーカーで英語が出来る人間の採用が相次いだという。英語が出来る=グローバル化という名の下で数多くの帰国子女の採用を強化したのだ。結果はどうなったか。仕事の能力が低く、礼儀もわきまえない常識以前の連中の跋扈で社内環境が悪化したという。結局それ以降、管理職に最低限度の英語能力を問う制度を残して、こうした人事を廃止したという。
英語が喋れる=国際的に通用するという殆どたちの悪い宗教のような考え方は本質を見誤っている。英語圏の人間全員が企業社員として適切であるかといえばそうでないのは自明の理である。

言語はツールでしかない。従って人間性や業務スキルとは無関係だ。コミュニケーション能力や社会的マナー、また業務スキルが合った上で英語や他の言語などのツールが生きるという当たり前のことに大企業の経営者が気付かないというのは殆どジョークとしか思えない。

 

楽天は会議も英語でやり始めたが、結局非効率になったので一部解除したようだ。当然だろう。英会話は手段で目的じゃないのだ。
またTOEICの高得点者は意外とキチンと英語の会話の出来ない人間が多いというのは一般的に知られていないだろう。
TOEICでは会話の試験が必須ではないので会話能力までを計る事が出来ない。私に知る限りでTOEICが高得点で尚且つ英語がキチンと話せる人間は通訳をやっている人ぐらいだ。TOEICの得点は決して英会話の能力と比例しない事実を経営者は理解しているのだろうか?

後天的に英語会話を学ぶ際に最も苦労するのが会話能力の開発だ。特に発音の矯正は個人差があり、耳の良い人と悪い人では差が大きい。また昨今は声認識によるサービスが多いので、発音の悪い人は飛行機の予約もままならないのだ。
楽天社長の英語のスピーチを聞いた事があるが、正直余り上手部類には入らない。特にリズムと発音がチグハグなので何を言っているのか不明な部分が多い。それでもあの程度話せれば一定程度の会話をすることは可能なので、あれはあれで良いのだと思う。

三木谷社長が日本の英語教育の在り方に憤っている観点は私も同じだ。中・高の6年間や大学の4年間を入れれば10年の長きに渡る英語教育を受ける訳だがご存じのように殆ど誰も喋れない。もはや文科省の陰謀かと思うほどでもある。

そのため日本人で英会話が出来る人には独特なプライドを持った面倒な人がいる。英会話能力のある自分が他人より一段上にいると勘違いしている連中だ。企業が英語能力ばかりに目を向けて採用後に失敗したと感じるのはこうした連中の存在だろう。

 

正直言って、近い将来英会話に限らず語学能力なんていずれ一定程度が陳腐化する。
自動翻訳機はまだまだ開発途上だがちょっとしたコミュニケーション程度なら機械を介して出来る時代がそこまで来ております。それでも人間技を必要とするのは人間力に加えて会話力と語学能力が合体する事で初めて機械を通じて陳腐化する部分を凌駕出来る訳です。

 

私はまだ日本人の中にアメリカによる根深い占領体験があるんだと思う。英語を話せる日本人が凄く特別に見えるというのはアメリカに特別で複雑な感情がある裏返しなのだとも思っている。

確かに日本国内で英語を流暢に操れる人を見ると“おっ・・”とか思うし、周辺に英会話が出来る人間が少ないのも事実です。
そのため英会話が出来る人が重宝されるのでしょうが、世界規模で言えば数十億人が話せる言語で特に珍しい能力じゃないというのも事実なのです。

日本の経営者はそういう事情を加味しながら英会話という能力の評価をした方が良いと思います。

語学はただのツールで人格じゃないのです。


 

(参考)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35580

 


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自立出来ない大人・A君への憂い [徒然なるまま]

自立出来ない大人・A君への憂い

きっとこういうタイプの人間は現代では珍しくないんだろう。しかし身内となるとまた別だ。こんな身内の話題をブログに載せて世間に問うという部分について是非はあると思っている。しかし時代の違いとは言え、私の下の甥の生き方について、どうしたもんかと思い敢えて載せました。

私の下の甥A君は現在24歳。そこそこの名前のある大学を卒業した。小・中学とトップの成績だったので、地域で一番の進学高校に行ったのだが、残念ながら下成績層に転落したらしい。一浪はしたが合格した大学は中央大学で、一定以上のレベルの大学だと思っている。少なくとも私よりは遥かに偏差値が高いはずだ。ここまでは比較的普通だった。

大学3年の時、就職活動もしていたようだが、ミュージシャンになるとか何とか言って就職も決まらないまま大学を卒業。この辺りまではオレとそっくりだ。
そしてその年(2012年)の11月になって、アニメ同人誌の隣に売られているような手作り感プンプンの音楽DVDが私宛てや親せき筋に送られて来た。
DVD
を見ると誰かに書いてもらった典型的なアニメっぽい女の子の静止画とナレーション、そして彼が作り演奏し唄っている音楽で構成されていた。彼の云うミュージシャンなるというのはこういう形で世に問い始めたのだった。
ひょっとしたらこういう作品を有難がる人もいるんだろうが、これを売って本当に生活するつもりかね?と感じ、特に感想も返事もしなかった。19年も音楽業界で生きてきた私もそれなりの耳や感覚があるのだが、A君の作品はちょっと世の中を突き刺すレベルとしてはアマチュア過ぎたと思う。
しかし当時の本人は相当な自信を持っていたらしく2000枚をイニシャルで作ったようだ。価格は2500円。自宅のアパートはDVDだらけになったようだ。作品を完成させる熱意はあったようだ。

DVDをリリースするまで、色々なアルバイトをしながら生活をしていたようだ。それでも生活が成り立たなかったのか、後から聞いた話では、アパート代と携帯代は母親が負担していたらしく、DVDの制作に関わる資金も結果的に母親が肩代わりしていたようだ。
そして翌年(つまり2013年)の1月、彼の兄から弟が東京を離れる決意をしたという報告が来た。どうやらDVDが予定通り売れず、自己破産と同様の状態になり、母親から実家に戻るように促された結論らしい。彼のミュージシャンを目指すってそんな程度だったの?と私は感じた。

さて、これを読んだ見知らぬ人々はA君の行動を見てどう感じるだろうか?

身内なのでキツイ良い方になるが、かなり贔屓目に見てもマヌケな奴だと思う。さすがに普段は大人しい兄(つまりA君の父)も、この体たらくには相当怒りをブチマケタらしい。

それもそうだ。A君には計画性というものが全く見当たらなかったからだ。

アルバイトをして生活の土台を維持しながら金を貯めて自分の作品を作り、世に問いながら機会を待つというならともかく、A君はDVDが絶対売れて直ちに回収できるとしか考えていなかったという。自信過剰もここまで来るとコメディーだが、そのためか、生活費も製品資金の回収時のキャッシュフローも何も計算に入っていなかったのだ。全く信じられん行動だ。これで本当に大卒なのか?と呆れかえってしまった。
おまけにDVDの資金は母親が出しているのである。他人の金で事業をして、それでも失敗して自分の生活費もままならず破産同様になった訳だ。
中央大ってこんなバカが合格して卒業できるほど低レベルな大学だったのか?

そんな事はないだろう。私の知っている他の中央大生は至極まともな連中だ。

A君の兄・B君と話していてある理由が分かった。
上記を読んで分かるように母親は息子の事業資金を調達して投資している。これ自体は特に悪くない。ただ、キチン出資を回収し、返済するというビジネス上の毅然さがあればの話だ。

DVDの失敗そのものは致し方ない。作品のヒットは予測不能な部分が多いからだ。成功することだってある。
また失敗してもその理由を分析できれば将来に経験が生き財産にさえなる。しかし失敗の仕方にも色々とあるはずだ。
A君は予測されることについて事前に手を打たず、放置した果てに破産同様になった。結局母の資金を返済する手段もなくなってしまった。その解決方法が借金の棒引きの代わりに実家への強制帰省となったのだ。

A君の兄B君は時折私に相談のメールを寄こし、A君への対応を相談してきた。長男の彼はその先に考えられる様々な点を憂慮し、弟への助言や対処に悩んでいた。B君は学校の英語の先生を目指し、7年の間にスキルを磨き、様々な方法で課題を克服し、2013年度から地方の私立高校の教員に採用された。そういう意味で兄のB君の生き方はA君の参考になったはずだ。

B君との情報交換の過程で分かったのだが、A君の帰省後2カ月間で面談したのはたった2社のみで、いずれも採用されず、たったそれだけのことで今後も指針もままならないという感じになったのだという。その内1社は塾の臨時講師だったというから中央大も随分と通用しないもんだと思った。
帰省したA君は2月から地元で毎日就職活動に勤しんでいるはずだったが、実際はお寒い状態だったのだ。
兄のB君は4月からの新しい就職先への準備もあり、20133月中旬に実家に戻る。そしてB君は弟のA君が漫画を読んでいたりゲームをしていたりと自堕落な生活をしているのを目の当たりにし、怒りを爆発する。またそうした自堕落な生活をする遠因となっていた過保護で過干渉の母親を相当な勢いで一喝したようだ。
それでも二人の反応に危機感が感じられず、それ以上意見するのを止めてしまったと語ってくれた。
B君は私に対してAはマザコンでそれが彼を駄目にしてますね・・とつぶやいた。マザコンがA君の阻害要因だったのは一定程度の確率で事実だろうと思う。

それでもA君は地元の民間企業への就職が難しいそうだと母親の勧めもあって、6月下旬に行われる地元市役所の試験に向けて勉強を始めたらしい。
しかし市役所の職員になる理由は自発的発想ではない。B君によればA君は自宅から通える市役所か町役場ならいい・・と回答しているようだが、そもそも町役場は市役所に採用されなければ働けないし、行政職の倍率は10倍程度もある難関の職業なのだ。それに消極的消去法で公務員を目指されても自治体も迷惑だろうと思う。

また市役所の採用は年齢が1歳でも上になるとかなり不利である。また採用時点で25歳というのは、採用をする側からすると3年分を逸してしまうため、余程の行政関係のスキルや経験を持っていれば分からないが、ここ2年半社会人として何のスキルも積んでこなかった人間よりもマッサラな大卒者を優先するのは採用側の人情だろう。そういう状況分析はどうやら出来ていないようだ。


現在の彼は、住民税も所得税も健康保険も自分で払っておらず、完全に母親の飼育下にいる。いわゆるパラサイトなのだ。しかし本人の深層心理は読みとれない。


地方都市の民間就職は実に厳しい。人口比で見ても東京と比較すれば職種も求人も少なく、給与面でも一部上場の60%程度以下だ。
一度は私の実家の商工会議所人脈にA君の就職に関して当たってみたが、ハローワークで捜した方が良いと諭されたらしい。
地方でも既卒3年後までが新卒に近い扱いというのが一般的らしいので、A君の社会的な賞味期限は実に残り少ないのだ。
また事を複雑にしている別の要因は、このままA君が実家を拠点にすして、どこにも正社員として就職出来ないまま、仮に地元でアルバイト的な収入の状態になってもA君が平気で暮らして行けるという事実だ。
また携帯も車の経費も光熱費も飲食も含め足りない部分は何もかも母親が払い続けるだろう。
しかし20-30年のスパンで考えるとA君には恐ろしい事が起こる。A君は母親の資産を食いつぶし続けて自分の稼ぎ以上の生活を継続することで、中・高齢期に必ずツケが廻ってくるからだ。
彼の両親はいずれ死を迎える。その時点までにA君が自分自身の資産形成出来ないまま50歳を過ぎたとすると、財産分与の問題で兄のB君との間で大きな課題が出てくるはずだ。また母親の資産を食いつぶし、身分不相応な額の貯蓄をしていたとしたら兄のB君は釈然としないはずだ。

いずれの場合も
もはや母親の資産なしでは暮らせない人間に対して、その時点から経済的に自立しろというのは実際にはホームレスになれというのに等しい。
当然血肉の争いになるかもしれないと覚悟が必要だ。
日本の財政は今でも厳しく、生活保護の要件も相当狭くなっているだろう将来行政は、まずB君に対してA君の面倒を見ろと云うかもしれない。もしくはB君が不相応な規模の資産を形成していたとしたら実家に戻せと言われるだろう。

現在のA君を見ていると自分の脳で考え、行動し、課題を解決する訓練が出来ないまま大人になってしまったと感じる。発言やリアクションを見ていても実に幼稚な面が多い。こうしたA君を見ていて、兄のB君の云うマザコンの弊害は一定程度あるのだと感じる。
子供の頃から何かあると母親が手を貸し、問題や困難を母親が無難に露払いをしてきた事が今になって大きな障害になってしまっているのだろう。
兄のB君は、今回の就職活動等の対応でも母親の過干渉の弊害を辛辣に指摘し批判しているが、反応は無かったようだ。

無生産な若年層の増加は日本社会にとってマイナスだ。彼らが一定の収入を得ることのできる仕事をし、生産活動に寄与し、税金を払い、消費をしてくれなければ日本は衰退の一途となる。

時代が豊かさを享受し始めるとひきこもりやパラサイト問題などが表面化し始めた。理由は様々だろう。キチンと寄り添う必要のある人も必ずいると思う。しかしA君には不要だ。育て方を誤ったという言い方もあるが、彼のような怠惰性は後天的に修正可能なものだ。しかしそれには自覚がいる。

社会に出ると地頭の良さを求められる。これは学力とは別の頭の良さで、課題や問題を解決するためにどのような方法やマネージメントが適切かを判断し、チームをまとめ、行動し成果を出すする際に必要となる能力だ。

実際、地頭の良さは学歴とは無関係な部分が多い。
評論しているだけ行動も対応もせず、課題を放置し解決できない連中は評価も低いのが社会の有り様だ。
正直言えば、一度ホームレスになるほど困窮した方が彼のためだとさえ思っている。苦労は買ってでもしろという言葉があるが、正しい部分が多いと感じている。
先日帰宅途中、渋谷駅のコンコースを歩いていると、視線の先に一人の黒ずくめの男がうずくまっているのが見えた。近くまで来ると、彼の眼の前にはつぶれかけた紙コップが置かれており、明らかに物乞いをしていると理解出来た。私の内心は酷く揺らいだ。豊かと言われる日本でも、ホームレスが多い東京だが、明らかに物乞いをしている人を見たのは非常に久しぶりだったからだ。40代に見える彼の目はうつろで、風体を見ても、もはや人生の立て直しはほぼ不可能だろうと感じた。自分や周囲を歩く人と彼を隔ててしまったものが、自己責任なのかそうでないのかは分からない。
私も嘗て仕事に行き詰まった時、消え行く貯金の数字を見ながらホームレスを覚悟した時期さえあった。逆に言えばそういう経験が今の私の財産でもある。

身内の恥を晒すような文章だが、ひょっとしたらこういう若者は日本に増えているんじゃないかと思って書いた。
そしてこういう若者への対応はどのような方法があるのかを知りたいという部分もあり晒しました。

私も人の事をヤイノヤイノ言えるほど立派な人間じゃないが、そんな私でもA君を見ていると心配を通り越して危なく見える訳です。

実際、彼は夢を諦めてしまった部分があり、軌道修正に戸惑っているとも言えます。しかし現実社会でそんな人はゴマンといる訳で決して彼は特別ではないし、私だって同様でした。


さて皆さんどうしておられるのでしょうか?


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2013年東京の桜便り Cherry’s Letters from Tokyo in 2013 [歴史&庭園(History&Garden)]

年は2012年に比べ10日以上早く桜が開花した。

冬は久々に寒かったが、急に春が訪れた。

2013年の東京都内の春の様子を写真でご紹介する。

Cherry blooms more than 10 days earlier than 2012.

It has been cold winter this year.

And all the suddenly, spring has come.

Now I will show you with several pictures what is going on in Tokyo this spring in 2013.

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中目黒の目黒川沿いの桜と提灯。

At Nakameguro river side. Cherry and lantern.


130322中目黒桜夜 (20)_R.JPG

中目黒の目黒川沿いのレストランは花見客相手に良い商売。

A restaurant near Nakameguro river is rushing of business.



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小石川後楽園内のしだれ桜は見事だった。

A cherry tree with drooping branches is beautiful at Korakue Garden.



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小石川後楽園内で蜜を啄む鳥。

A bird is eating honey at Korakuen Garden botanical garden.



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千鳥が淵の清水門からの光景。ここは人も少なく穴場だ。

A view from Shimizu gate at Chudorigafuchi moat.

It is a little-known place to see.



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千鳥が淵では最も有名で美しい光景。

A famous view at Chidorigafuchi moat.



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中目黒の目黒川沿いの桜。毎年美しい。

A view at Meguro River near Nakameguro station.




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権之助坂から見える目黒川の光景。

A view from Meguro River at Gonenosuke slope.



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目黒川沿いの桜を楽しむ人々。

People are enjoying a view at Meguro River side.



130324上野公園桜 (18-2)_R.jpg

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万人が訪れ桜を楽しむと言われる上野公園。さすがに綺麗です。

A view at Ueno Park. 
Expecting more than 300,000 people are coming to enjoy cherry trees.



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上野公園で蜜を啄む鳥。

A bird is eating honey at Ueno Park.



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上野公園内で見ることが出来る五重の塔と桜の共演。

Cherry and five-storied pagoda at Ueno Park.



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上野東照宮内の露天と人々の群れ。

Street stalls and people who are enjoying lunch under the cherry at Ueno Park.



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椿山荘内の桜と三重の塔の共演。

Collaboration with cherry and three-storied pagoda at Chinzansaw hotel.



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神田川を覆う桜並木。

Kanda River is covered by cherry trees.





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神田川の桜群。

A view at Kanda River.





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市ヶ谷と飯田橋の間から見える光景。

A view at between Ichigaya and IIdabashi birdge.





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中央快速と桜の共演。

Collaboration with cherry and train.



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新宿御苑の桜。

At Shinjyuku Gyoen Garden.

来年が待ち遠しいですね。

Looking foward to seeing them next year. 


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日本人の英会話神話 [徒然なるまま]

日本人の英会話神話

 

自民党の教育再生実行本部(遠藤利明本部長)がまとめた、国際社会で活躍できる人材の育成を目指す教育改革の第1次提言案で英語検定試験「TOEFL」で一定以上の点数を取ることを全大学の受験・卒業の条件とすることなどを盛り込んだという記事があった。
確かに国際社会で活躍できる人材の育成するなであれば英会話は必須条件だ。しかし英会話はあくまでもツールであって十分条件じゃない。

上記の提言とはちょっと外れる話だが、私個人は日本の英語教育に非常な不満がある。そもそも中高で6年も時間を費やして一言もしゃべれない教育をされたのは人生においても非常に時間の無駄だった。
私は仕事の環境の問題で英会話の必要性に気付き26歳から独学した。学生時代は英語が出来なくて嫌いな科目だったが、NHKのラジオ英会話を中心に勉強し、一定程度は困らないレベルの会話能力を身につける事が出来たし英語も好きになりTOEIC800点付近に到達した。
結果論としては学校教育より独学の方が私には効果があった訳だ。
そもそも日本の英語教員はまともに英語がしゃべれない。しゃべれても発音が不正確だ。英会話は先生となる人間の発音能力が大きな問題になる。
そのため私はラジオ英会話や映画を先生にした。シャドーイングも誰から教えられた訳でなく自分自身で必要だと感じて実践して身につけた。
残念だが日本では高い質の英語教育を提供されていない。この構造は私が中高生だった昭和40年代から現在まで全く変わっていない。
国家の陰謀かと思うほどだ。

 

さて、英会話能力は人生において絶対必要かと問われたら、今のところNOと答えるだろう。もちろん喋れた方が良いと思っている。また職業や生活の中で英語を頻繁に使うのであれば喋れて使いこなせないと困る。しかし周辺の日常一般を見ていると英語が無いと絶対に困るということは日本においてはほとんど無いと云うのが現状認識だ。海外と仕事をする人でも英語を自由自在に操れる人は少数だ。実際、日本人にとって英会話が出来る人というのは未だにマイノリティーなのだ。

先日も都内で見知らぬ外国人の観光客に声をかけられたので、英語で普通に返したら東京都内でさえも日本人が英語をしゃべれる人が少ないのでとても感動された。東京のような大都市でさえこうなのだ。

 

私は日本国家が英語教育を充実させるのであれば、キチンとした目標を掲げキチンと使える環境を担保した方が良いと思う。単純に教養という範疇だけで英語が喋れるというのだけでは時間の無駄になり兼ねないからだ。使える場所がないのにツールを持っていても錆びてしまう。実際私も現在働いている職場で英会話を必要とされたことがない。だから自分で能力の維持に独自で注力している。

日本において英語を必要とする社会環境は濃淡度合いが非常に大きい。教育と社会環境の2つの課題に対応しない限り日本での英語教育は本当の意味で定着しないと考えている。

また楽天のように日本人同士でも英語で会議をするというような実務的に全く無意味な方法論で英語を強制的に獲得させるのは効果的な方法ではない。
あれは実務を阻害するだけでなく、英会話の能力を獲得する上で全く意味をなさない。英語がまともに喋れない人間と練習していても会話が向上するはずもなかろう。
よく英会話を「習得するため」に海外へ短期留学に行く人を見かけるが、こういう人に限って喋れるようになった人を見たことがない。当然と云えば当然で、そもそも会話の基礎もないのに向上するはずもなかろう。だいたいロス辺りに行って周囲の日本人とつるんで遊んだまま、英語の向上もなく帰国するのがお定まりのパターンだ。短期留学するなら、まず一定程度の会話レベルにしてから武者修行で行くべきだ。

幼小期から英語に接していた人間と後発で獲得する人間とは自ずと獲得過程が異なる。一旦出来上がった言語回路に新たな言語回路を構築させるのは一定以上の時間がかかり、構築方法も幼児期のような自然獲得のようにはいかないからだ。

 

政府は国際社会で活躍できる人材をどのようなイメージで考えているのか定義すべきだろう。そもそも内気で無口な人間や、積極性に欠ける人間などはたとえ英会話が出来ても国際社会で働くには不向きだろう。
また英会話が出来ても交渉能力の問題や実務の問題、人間関係の形成など会話能力とは別も能力も問われる。

日本人以外の人種と働くためには一定以上の胆力や、包容力、宗教や歴史的な知識・認識など様々な要素が必要とされる。英会話の能力はその1つでしかない。

確かに英会話能力は最低限度に条件だ。またその能力を身につけるために未だに四苦八苦している日本人が多いのも事実だ。
そのため英会話が出来る人は今でもそれを強みとして語る事ができるが、それが過大な幻想にされているように思う。
アジア圏でもシンガポールとかに行けば子供でも英語を話し、ペーパーバックの小説も読んでいる。フィリピン人だって発音はともかく英語で会話出来る人は多い。世界に出れば英会話の能力は珍しくないのだ。

かつて、とある母親が子供に英会話を身につけさせるために、日常全ての会話を英語で強制させている映像をテレビで見たことがある。私は随分と極端な英会話信奉者だなあと背筋が寒くなったが、英会話が出来る=国際人になれると単純に考える英会話信奉神話は、日本人社会の中でしか見られない現象だといえる。
幼小期からの英語習得の弊害を言う人は多い。少なくとも私に知り合いで中学時代にイギリスに行き、英語漬けになった友人は両方の言語をキチンと操れている。弊害も考えられなくもないが、キチンとした日本語教育を併用できれば避けられるとは感じている。


前述したが、日本国家が本当に英語の会話能力向上にシフトするのであれば、目標と環境を設定すべきだ。また英語を学ぶ上で一番必要なのは、日本人としてのアイデンティティーをキチンと持つことに他ならない。日本人として日本語を学び、歴史を知り、日本人としてのアイデンティティーをキチンと持たないまま単純に英会話だけを流暢になる人間を国際社会ではなかなかまともに受け入れてくれない。
英語を知るとこは西洋社会や文化を知ることに通じる。従って日本人として自分の社会や文化を知り、海外との文化の差異を知らなければ、どこにも属さない張り子の虎のような人間になってしまうだろう。

よくありがちなのは、クイーズイングリッシュ幻想だ。実際現在のイギリスでクイーズイングリッシュのような話し方をする一般のイギリス人は皆無だろう。それ故、一般人の会話の中で特に外国人からクイーズイングリッシュ的な発音の会話が出て来たとすれば、かなりスノッブな人間に思われるのは間違いない。
外国人が日常会話で皇室の人が使うような日本語の話し方をしてきたらちょっとギョっとするだろう。それと同じだ。

英会話は国際社会で生きるための1つのツールだ。ただこのツールがないと通用し難いのも事実だ。そういう意味で人間力の向上も含め英会話の習得を捉えるべきで、英会話の習得が独立している訳ではない点を強調しておきたい。


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